[p.0178][p.0179]
甘棠篇

輔儲訓
安永五年中、世子治広公〈○上杉〉初めての御出府前、近侍へ是お賜ふ、
一大凡人君の通弊は、玉簾深き中に長養して富貴に沈淪せしめ候間、おのづから世事の艱苦な る事おも弁ぜず、下民の窶にも疎く是有り候、〈○中略〉今日世子の内は、何事も恭巽お専一と致候 事に是あるべく候、今年喜平治殿同道せしめ候事も、東都の繁華豪族の形勢お、見聞致され候 為にも是なく、風流奇麗の様子お、習慣致させ候儀にも是なく候、隻国元発駕の日よりして、小 扈従の姿に出立れ、艱難不自由の事にも逢申されて、一とせ武蔵野の露にしほたれ申され候 はゞ、少しは下民の情にも達し、是よりして、はてしなき才も生じ、秋の月のくまなき徳にも、進 み申され候様に、致度迄の事に候、〈○中略〉一喜平次殿、才に不足は是なく候、才の余り候より、物毎に心付も細かにやかましく是有り候、細 かにやかましきお、此方よりも細かにやかましく教訓致候ては、影お惡て趣ると申譬ひの如 ぐ、愈細かにやかましく成行候、隻日用の事お、静に大まかに取扱申べき事に候、
一喜平次殿、当分剛気に相見へ候得共、皆以鋭気秀発する迄に候、剛気は全く薄く是あり候、剛気 は根強く、物に屈する気なきお申候、鋭気はするどしと読て、切れ味、はやり気の事お申候、鋭気 は人君に望む事は是なく候へ共、しかし鋭気お剛気の種と為さず候へば、剛気お長じ候こと は是なく候、先々鋭気お挫かず、生育候内より、剛気に転じ候様に、是あり度候、
一喜平次殿、険忌の性も、随分是あり候、其内又仁恕の心も成程是あり候、険忌の性に深く頓著な く、仁恕の心お長じ候様に、生育是あり候へば、追々険忌の性は薄く成行申べく候、此所能々勘 弁是あち度候、〈○中略〉
国の安危は、世子の身に掛り候事に候へば、大切なる事に候、面々朝暮の事、見聞せしめ候所、痛入たる事共に候へども、及だけの教誨に、猶も心お尽し、如在なき様に、呉々頼入計りに候、不悉、