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丁酉日錄
天保八年三月十六日辰半、浅利九左衛門来訪ひ、其子徳操南上後飲酒不羈、少く忠告お乞ふ由お託す、余諾す、 十八日朝、浅利徳操来る、徳操南上後飲酒過度、頗る放蕩になりたる故、余〈○藤田彪〉屢禁酒の事お勧む、不可、其父之お患ひ、余に又忠告の事お乞、余因て徳操お激励せんと、昨夕徳操お訪、不逢、今朝来訪談話の余微諷す、不可、更に弁難す、徳操怒て不可、余亦憤激至誠お以て之お激す、徳操翻然と七て悛心あるに似たり、余因て相約し、共に禁酒せんと雲、徳操余が甚飲お嗜む事お熟知せるゆえ、感激許諾す、期するに三年お以てし、共に一書お以て契とす、鳴呼先君子の門、学問行状一世に表見するに足る者、先輩には会沢伯民等二三子あり、余が同学年齢の者に至ては、一人の自立する者なし、独り徳操学問は浅しと雖も、人品凡ならず、忠勇群お出づ、余因て深くこれと親むこと二十年一日也、斯挙一ば親朋の義お立、因て以自激励せんと欲するなり、