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平重時家訓
極楽寺殿御消息
抑申につけてもおこがましき事にて候へ共、親となり、子となるは、先世のちぎり、まことにあさからず、さても世のはかなき事、夢のうちの夢の如し、昨日見し人けふはなく、けふ有人もあすはいかゞとあやうく、いづるいき入いきおまたず、あしたの曰はくるゝ山のはおこえ、夕の月はけさのかぎりとなり、さく花はさそふ嵐お待ぬるふぜい、あだなるたぐひのがれざる事は、人間にかぎらず、さればおひたる親おさきにたて、若き子のとゞまるこそさだまれる事なれども、老少不定のならひ、誠におもへば若きとても、たのまれぬうき世のしきなり、いかでか人にしのばれ給ふべき心おたしなみ給はざらん、か様の事おむかひてたてまつりて申さんは、さのみおりふしもなきやうにおぼゆるほどに、かたのごとく書しるしてたてまつる也、つれ〴〵なぐさみに能々御らんずべし、おの〳〵よりほかにかしたまふべからず、このたび生死おはなれずば、多生くるうごうおふるともあひがたき事なれば、たま〳〵むまれあひたてまつる時の世の忍おもひでにもとて申也、先心にも思ひ、身にもふるまひたまふべき条々の事、
一仏神お朝夕あがめ申、こゝろにかけたてまつるべし、神は人のうやまふによりて威おまし、人 は神のめぐみによりて運命おたもつ、しかれば仏神の御前にまいりては、今世の能には正直 の心おたまはらんと申べし、そのゆへは今生にては人にもちいられ、後世にては必西方極楽 へまいり給ふべきなり、かた〴〵もつてめでたくよき事也、此旨お能々あきらめ給ふべく候なり、
一ほうこうみやづかひおし給ふ事あらん時は、百千人の人おばしり給ふべからず、君のことお 大事の御事におもひ給ふべし、いのちおはじめて、いかなるたからおも、かぎり給ふべからず、 たとひ主人の心おほやうにして、おもひしりたまはずとも、さだめて仏神の御かごあるべし と、おもひたまふべし、みやづかひとおもふとも、是もおこないおすると、心のうちに思べし、み やづかひのことはなくして、しうのおんおかふむらんなどゝおもふ事は、舟もなくして、なん 海おわたらんとするにことならず、〈○中略〉
一おやのけふくんおば、かりそめなりともたがへ給ふべからず、いかなる人のおやにてもあれ、 わが子わろかれとおもふ人やあるべき、なれどもこれおもちいる人の子はまれなり、心お返 し目おふたぎて、能々あんずべし、わろからん子お見てなげかん親の心は、いかばかりかこゝ ろうかるべき、されば不孝の子とも申つべし、よき子お見て喜ばんおやの心は、いかばかりか うれしかるべき、されば孝の子とも申つべし、たとひひが事おの給ふとも、としよりたらんお やの物おのたまはん時は、能々心おしづめてきゝ給ふべし、とし老衰へぬれば、ちごに二たび なると申事の候也、かみには雪おいたゞき、額にはなみおよせ、腰にはあづさの弓おはり、鏡の かげもいにしへのすがたにかはり、あらぬ人かとうたがふ、たまさかにとひくる人は、すさみ てのみかへる、げにもととぶらふ人はなし、心さへいにしへにかいりて、きゝし事もおぼえず、 見る事もわすれ、よろこぶべき事はうらみ、うらむべき事おば喜ぶ、みなこれ老たる人のなら ひ也、これお能々心えて、老たる親ののたまはん事お、あはれみの心おさきとして、そむき給ふ べからず、すぎぬるかたは久しく、行すへはちかく侍ることなれば、いまいくほどかの給ふべ きとおもひて、いかにもしたがい給ふべし、されば老ては思ひわたる事もあるべし、それ人に たいしての事ならば、申なだめ給はんに、何たがふ事かあらん、身にたいしての事ならば、とも かくもおほせにしだがひ給ふべし、あはれ名ごりになりなん後は、こうくわいのみして、した がふべかりし物おと、おもひたまはん事おほかるべし、〈○中略〉
一道理の中にひが事あり、又ひが事のうちにだうりの候、これお能々心得給ふべし、道理の中の ひが事と申は、いかに我が身のだうりなればとて、さして我は生涯おうしなふ程の事はなく、 人は是によりて生涯おうしなふべきほどの事お、我が道理のまゝに申、これお道理の中のひ が事にて候也、又僻事の中のだうりと申は、人の命おうしなふべき事おば、千万ひが事なれ共、 それおあらはす事なく、人おたすけ給ふべし、是おひが事の中の道理と申也、かやうに心得て 世おも民おもたすけ候へば、見る人きく人思ひつく事にて候、又たすけのる人の喜はいかば かり候べき、もしよそにも其人も悦ことなけれ共、神仏のいとおしみおなし、今世おもまほり、 後世もたすけ給ふなり、
一いかほども心おば人にまかせて、人の教訓につき給ふべし、けふくんする程の事は、すべてわ ろき事おば申さぬ物にて候、されば十人の教訓につきぬれば、よき事十有、又百人のけうくん につきぬれば、よき事百あり、されば孔子と申尊師も、千人の弟子お持て、気おとひ給ふとこそ 承候へ、人のけふくんにつくべき事、たゞ人おもつて申べし、たゞ我が心お水のごとくにもち 給ふべし、ふるき詞にも、水の器物にしたがふがごとしとこそ申て候へ、ことにらうし経にく はしくとかれたり、返々人にしたがひ、人の教訓につき給ふべし、〈○中略〉
一人のとしによりて、ふるまふべき次第廿ばかりまでは、何事も人のするほどのげいのふおた しなむべし、三十より四十五十までは、君おまぼり、たみおはごくみ、身お納ことわりお心得て、 しんぎおたゞしくして、内には五誡おたもち、せいだうおむねとすべし、せいだうは天下おお さむる人も、又婦夫あらん人も、きのたゞしからんはか見るべからず、さて六十にならば、何事 おもうちすてゝ、一へんに後世一大事おねがふて念仏すべし、〈○中略〉
一わが妻子の物お申さん、時は、能々きゝ給ふべし、ひが事お申さば、女わらんべのならひなりと おもふべし、又道理お申さん時は、いかにもかんじ、これより後もかやうに何事もきかせよと いさめ給ふべし、女わらべなればとて、いやしむべからず、天照大神も女体にておはします、又 じんぐうくわうぐうも、きさきにてこそしんらこくおばせめしたがへられしか、又おさなさ とていやしむべからず、八まんはたいないより事お御はからひあり、老たるによるべからず、 又わかきによるべからず、心正直にて君おあがめ、民おはぐゝむこそ聖人とは申なれ、〈○中略〉
一弓矢の事はつねに儀理おあんずべし、心のがうなると、弓矢の儀りおしりたるとは、車の両輪 のごとく、ぎりおしると申は、身おも家おもうしなへども、よわきおすてず、つよきにおとらず、 儀理おふかくおもふ、是は弓矢とり也、其儀りは無沙汰なれども、敵おほろぼすはがうの物也、 おなじくは車の両輪のかなふごとくに心え給ふべし、ふるき詞にも、人は死して名おとゞむ、 虎は死して皮おとゞむと申事あり、いのちも身のなり行事もさだまれる事也、おしむでとま る事なし、ねがふにきたらぬだうりおしり給ふべし、〈○中略〉
一いかにも人だめ世のためよからんとおもひ給ふべし、行すへのためと申也、しろき鳥の子は その色しろし、くろきはその子もくろし、たでといふ草からくして、そのすへおつぐ也、あまき 物のたねはおとうふれども、そのあぢあまし、されば人のためよからんと思はゞ、すへの世か ならずよかるべし、我が身お思ふばかりにあらず、〈○中略〉一舟はかぢといふ物おもつて、おそろしき浪おもしのぎ、あらき風おもふせぎ、大海おもわたる 也、人間界の人は、正直の心おもちて、あぶなき世おも、神仏のたすけわたし給ふ也、〈○中略〉
返々はづかしくおもひたてまつれども、いのちはさだまりてかぎりある事なれば、いつおそ れともしりがたし、そのうへ時にのぞみてのありさま、有いは物おいはずしてはかなくなる 人もあり、又弓矢によりて、此世おそむくたぐひもあり、露の命の生死、無常の風にしたがふな らひ、其はかりはかげろふのあるかなきかのふぜい也、心におもひいだすおはゞからず申 也、これおもちいたらん程に、あしき事にて候はゞ、わろき事お親ののたまひけるよと、其時お もひ給ふべし、是お持いたらんお、けうやうの至極と思いたてまつるべし、たゞにもちい給ふ 事なくとも、是おすへの世までの子共につたへ給ふべし、いでこん人のうちに、もし百人が中 ににても、これおもちい給人ありて、さてはむかしの人のつたへ給ひけるかと、おもひ給人や おはしますとて申也、人の親は子にあひぬれば、おこがましき事のあると申候、是やらんとお ぼゆるとおもひたまはんずれども、心静に二三人もよりめひ御らんずべし、たゞしかやうに 申事は、わがおやの我おけうくんするばかりと思ひ給ふべからず、すへの世の人おけうくん すると心え給ふべし、返々おかしくつゝましき事なれば、他人にもらし給ふべからず、
いにしへの人のかたみと是お見て一こえ南無と唱給へよ、御教訓の御状かくのごとし、