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竹馬抄
治部大輔義将朝臣
よろづのことに、おほやけすがたといふと、眼といふことの侍るべき也、このごろの人おほく は、それまで思ひわけて、心がけたる人すくなく侍る也、まづ弓箭とりといふは、わが身のこと は申におよばず、子孫の名おおもひて振舞べき也、かぎりある命おおしみて、永代うき名おと るべからず、さればとて、二なき命おちりはいのごとくにおもひて、死まじき時、身おうしなふ は、かへつていひがひなき名おとるなり、たとへば、一天の君の御ため、又は弓箭の将軍の御大 事に立て、身命おすつるお、本意といふなり、それこそ子孫の高名おもつたふべけれ、当座の気 いさかひなどは、よくてもあしくても、家のふがく、高名になるべかず、すべて武士は心おあは つかに、うか〳〵とは持まじき也、万のことにかねて思案してもつべき也、常の心は億病なれ ど、綱といひけるものゝ末武におしへけるも、最後の大事おかねてならせとなるべし、おほく の人は、みなその時にしたがひ、折にのぞみてこそ振舞べけれ、とて、過るほどに、俄に大事の難 義の出来時は、迷惑する也、死べき期おおし過しなどして後悔する也、よき弓とりと、仏法者と は、用心おなじことゝぞ申める、すべてなにごとも心のしづまらぬは、口おしき事也、人の心と きことも、案者の中にのみ侍る也、
一人の立振舞べきやうにて、品の程も心の底も見ゆるなれば、人めなき所にても、垣壁お目と心 得て、うちとくまじきなり、まして人中の作法は、一足にてもあだにふまず、一詞といふとも、心 あさやと人におもはるべからず、たゞ色お好み、花お心にかけたる人なりとも、心おばうるは しく、まことしくもちて、そのうへに色花おそふべき也、男女の中だにも実なきは、志の色なき まゝに、なくばかりのことまれにこそ侍れ、
一我身おはじめておもふに、おやの心お、もどかしう教おあざむくことのみ侍也、おうかなるお やといふとも、そのおしへにしたがはゞ、まづ天道にはそむくべからず、まして十に八九は、お やの詞は、子の道理にかなふべき也、わが身につみしられ侍なり、いにしへもどかしう、おしへ おあざむく事のみ侍しおやのこと葉は、みな肝要にて侍る也、他人のよきまねおせんよりは、 わろきおやのまねおすべきなり、さてこそ家の風おもつたへ、その人の跡ともいはるべけれ、一仏神おあがめたてまつるべきことは、人として存べき事なれば、あたらしく申べからず、その 中にいさゝか心得わくべき事の侍なり、仏の出世といふも、神の化現といふも、しかしながら 世のため、人のためなり、されば人おあしかれとにはあらず、心おいさぎよくして、仁義礼智信 おたゞしくして、本おあきらめさせんがため也、その外には、なにのせんにか、出現し給ふべき、 此本意お心得ぬ程に、仏お信ずるとて、人民おわづらはし、人の物おとり、寺院おつくり、或は神 おうやまふと雲て、人領お追捕して、社礼お行ふことのみ侍る、かやうならんには、仏事も神事 もそむき侍べきとこそ覚侍れ、たとひ一度のつとめおもせず、一度の社参おばせずとも、心正 直に慈悲あらん人お、神も仏も、おうかには、みそなはしたまはじ、ことさら伊勢太神宮、八幡大 菩薩、北野天神も心すなおに、いさぎよき人のかうべに、やどらせ給ふなるべし、〈○中略〉
一君につかへたてまつる事、かならずまづ恩お蒙て、それにしたがひて、わが身の忠おも奉公お も、はげまさんと思ふ人のみ侍なり、うしろざまに心得たる事なり、もとより世中にすめるは 君の恩徳なり、それおわすれて、猶望お高くして、世おも君おもうらむる人のみ侍る、いとうた てしき事也、〈○中略〉
一智恵も侍り、心も賢き人は、ひとおつかふに見え侍なり、人毎のならひにて、わが心によしとお もふ人お、万のことに用て、文道に弓箭とりおつかひ、こと葉たらぬ人お使節にし侍り、心とる べき所に、鈍なる人お用などするほどに、其ことちがひぬる時、なか〳〵人の一期おうしなふ ことの侍なり、その道にしたしからむお見て用べき也、曲れるは輪につくり、直なるは轅にせ んに、徒なる人は侍まじき也、たとひわが心にちがふ人なりとも、物によりてかならず用べき か、人おにくしとて、我身のために用おかき侍りては、何のとくかあらん、かへす〴〵も、はしに 申つるごとく心のまことなからむ人は、なにごとにつけても、入眼の侍まじきなり、万能一心 など申も、かやうのことお申やらんとおぼえ侍也、ことさら弓箭とる人は、我心おしづかにし て、人のこゝろの底おはかりしりぬれば、第一兵法とも申侍べし、
一尋常しき人は、かならず光源氏の物がたり、清少納言が枕草子などお、目おとゞめて、いくかへ りも覚え侍べきなり、なによりも人のふるまひ、心のよしあしのたゝずまひお、おしへたるも のなり、それにておのづから心の有人のさまも見しるなり、あなかしこ、心不当に、人のためわ ろくふるまひ、かたくなに欲ふかく、能なからん人お友とすべからず、人のならひにて、よきこ とは学がたく、あしきことは学よきほどに、おのづからなるゝ人のやうになりもて行なり、此 ことはわが身にふかくおもひしりて侍なり、〈○中略〉夢幻のやうになれども、人の名は末代にと どまり侍なり、或はよき仏法の上人、或は賢人聖人、又はすける人などならでは、誰人かながく 世にしられて侍ける、人木石にあらずと申ためれど、いたづら人のながらへんは、谷かげの朽 木にてこそ侍らんずらめたしなむべし、
一人のあまりにはらのあしきは、なによりもあさましき事なり、いかにはらたゞしからん時も、 まづ初一念おば、心おしづめて、理非おわきまへふせて、我道理ならんことは、はらも立べき也、 わがひがみたるまゝに、無理にはらだつには、人の恐侍らぬほどに、いよ〳〵はらのたつも詮 なき事也、たゞ道理と雲ことにこそ、人はおそれはぢらひ侍べけれ、たゞ腹だつべきことには、 かまへてかまへて心おしづめて思ひなおすべし、非おあらたむることお、はゞからざるがよ きこと也、よくもめしくも、我しつる事なればとて、そのまゝに心おもとおしふるまふは、第一 のなんなり、又よきといはるゝはたゞおだしくて、三歳の子のやうなるおいふとて、はらのた つおもたてず、うらむべきこと、なげくべきこと、又人にも必おもひしらするふしなどおも、過 しなどして、この人はともかくも人のまゝなるよと、人にしられたるは、なか〳〵人のためも わろく、わがためも失の侍べきなり、心おば閑にもちて、しかもとがむべきふし、雲べき事おば いひて、無明無心の人とおもはれぬはよきなり、たかき世には、人ごとによかりければ、さやう のひとおよしともあしとも申べし、此比はあるひは、めたれおみ、あるひはわゝく心のみ侍ほ どに、一すぢにやはらかにうるはしき人おば、人のいやしむる也、無心の道人などゝて、仏法者 などの目も心もなきやうに見えて、三歳の孫のごとくなどいふは別のことなり、又愚痴の人 は、ものの惡もわきまへず、隻黙々としたるは、よき人といふべきにあらず、是程のことは、よく よく思ひわくべき也、坐禅する僧達などは、生つきより利根なる事はなきも、心おしづかにす るゆへに、諸事に明かなり、学問などする人も、その事お一大事に、心おしづめておぼえ侍るほ どに、他事にもおのづから利根に侍なり、たゞ人の心はつかひやうによりて、よくもなりあし くもなり、利根にも鈍にもなるべきなり、人のさかりは、十年には過侍らず、そのうちなにごと もたしなむべし、十ばかり十四五までは、真実物の興もなく侍也、四十五十になりぬれば、又心 鈍になりて、ようづ物ぐさきほどに、はか〴〵しきけいこもかなはず、十八九より三十ばかり までのことなれば、物おしとゝのへて、おもしろき根源に至事は、たゞ十二三年に過べからず、 不定の世界には、とくけいこすべきなり、
一人の世にすむは、十に一も我心にかなふことはなき習なり、一天の君だにも、おぼしめすまゝ にはわたらせ給はぬなるべし、それに我等が身ながら、心にかなはぬ事おば、いかゞして本意 おとおさんとせんには、終に天道のいましめお蒙るべき也、すべて人毎にきのふ無念なりし かば、けふその心おさんじ、去年かなはざりしかば、今年其望お達せんとおもふまじき也、さら ぬだにも塵のごとくなる心お相続して、念々ごとになす身、いよ〳〵望お忘すべし、怨お残さ ん事口惜きねぢけ人なるべし、佞人とて、世法仏法にきたなきことに申也、人毎に、我執おおこ し、わするまじきには、心みじかくよわ〳〵しき也、打払ふて心にとゞむまじきやうなる事に は、余念おおこすこと也、あひかまへて〳〵万のことに人おもとゝして、あざむく事有まじき 也、戦ふごとには、おほけなくとも、心おたかく持て、我にまされる剛の者あらじとおもひつめ て、人の力にもなり、人おもたのもしきと思ふべき也、いかに心やすき人と雲とも、生得億病な らん人に、戦の事尋まじきなり、大事なればとて、さし当たるわざお、のがれんとすまじきなり、 やすければとて、すまじからん戦おすゝむまじきなり、凡合戦は、やすかりぬべき時は、他人に さきおかけさせ、大事ならん時は、たとひ百度といふとも、我一人の所作と心得べき也、いつは れるふるまひは、ことさら合戦にわろきなり、かやうの事おうかなる身におもひ知事のみ侍 れば、せめてのおやの慈悲のあまりに、我よりもなおおうかならん子孫のために書付侍り、涯 分身おまもり修て、万事に遠慮あるべきなり、
永徳三年二月九日 沙弥判