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黒田家譜
定則
一国おたもつ主将は、格別の思慮なくては協ひがたし、凡人と同じ様に心得べからず、先我身の 行儀作法お正しくして、政道に私曲なく、万民お撫育すべし、又我平日好む事お慎み撰ぶべし、 主君の好む事は諸士も好み、百姓町人までも玩ぶものなれば、仮初の軽き遊興たりとも、目に たゝぬ様にして、四民の手本となる事、片時も忘るべからず、凡国主は常に仁愛にして、讒お信 せず、善お行ふお以て務とすべし、政事は青天白日のごとく明白にして、深く思案おめぐらし、一事もあやまつべからず、文武は車の両輪の如くなれば、かた〳〵かけては立がたし、勿論治 世には文お用ひ、乱世には文お捨ざるが猶肝要なるべし、世治まりて国主たる人、武お忘る時 は、第一軍法すたり、家中の諸士もおのづから心柔弱になり、武道のたしなみなく、武芸にも怠 り、武具等も不足し、持伝へたる武具もさびくさりて俄の用にたゝず、かく武道おろそかなれ ば、平生の軍法さだまらずして、不慮に兵乱出来たる時には、あはて騒ぎ、評定調はずして軍法 立がたし、武将の家に生れては、暫時も武お忘るべからず、又乱世に文お捨れば、制法定まらず して、政事に私曲多く、家人お治、国民お愛する実なき故、人の恨み多きもの也、軍陣の時も、血気 の勇のみにて道正しからざる故、士卒思ひつかずして、忠義の働きまれなり、たとひ一旦は軍 に勝利お得とも、後には必敗軍となるもの也、凡国主の文道お好むといふは、かならず書お多 くよみ詩お作り、故事お覚るには非ず、誠の道おしりて、諸事につき吟味工夫お委敷して、万の 事筋目おちがへず、あやまちなきやうにして、善惡お糺し賞罰お明らかにし、あわれみ深きお 肝要とす、又武道お好むといふは、専ら武芸おもてはやし、いかつなるおいふに非ず、軍の道お よくしり、常に乱おしつむる智略お廻らし、油断なく士卒お調練して、功ある者に恩賞お与へ、、 罪ある者に刑罪お加へ、剛億お正ふして、治世に合戦お忘れざるおいふ、武勤お専らにして、三 人の働お勤るは匹夫の勇なり、国主武将の武道にあらず、当家の軍法は他の術なく、君臣法令 お正して、士卒の一致するお肝要とす、平世無事の時臣下おあわれみ、功有者に賞錄お惜まず 与へて、其者およく諸んに通じ置時は、其恩徳に思ひ付て、上下心お合せて一筋に武勇おはげ む故、兵のつよき事金石の如く、勝利得る事うたがひ有べからず、又主将たる人、威といふもの なくては、万民のおさへとなりがたし、惡敷心得てわざと威おこしらへつけんとすれば、却而 大なる害になるもの也、諸人におぢらるゝ様に身お持なすお威と心得家老に逢ても威高ぶ り、事もなきに詞おあらくし、人の諫お聞入ず、我あやまちもかさおしに雲まくり、ほしいまゝ まに我意お立る時は、家老も諫おいはず、おのづから身おひく様に成ゆくべし、家老さへかく のごとくなれば、諸士末々に至る迄、隻おぢおそれたるまでにて、忠義の思ひなす者なく、我身 がまへのみして、奉公お実に務る事なし、かく高慢にて、人おないがしろにする時は、臣下おは じめ万民うとみ果て、必国お失ふ基となるものなれば、能々心得べき事也、誠の威と雲は、先其 身の行義正しく、理非賞罰明かなれば、あながち人に高ぶりおびやかす事なけれ共、臣下万民 うやまひおそれて、上おあなどりかろしむる者なくして、おのづから威光備はるものなり、一凡君臣、傍輩、万民の上までも相口不相口といふ事あり、主君の家臣おつかふに、ことに此意味 有事おしりて、常に思慮お怠らず、能慎みて油断すべからず、家人多しといへども、其中に主人 の気に応ずる相口なる者善人なれば、国の重宝となり、惡人なれば大なる妨となるものなれ ば、是軽々敷事にあらず、家老中兼て其旨お相心得、主人の佞臣に心お奪はれざる様に、きびし く諫言すべし、又家老などは相口不相口によりては、贔負の心付て惡おも善と思ひ、或は賄に ひかれ、或追従軽薄に迷ひて、悪しきとしりながら自らしたしむ事もあり、不相口なる者は、善 人おも惡人と思ひ、道理も無理の様に聞あやまるものなれぱ、相口不相口によりて政事に私 曲出来るべし、家老中能々心得べき事也、又家老たる者の威高ふりて、諸士に無礼おなし、末々 の軽き者には詞おもかけざる様にする時は、下に遠くなる故に、諸士隔心して上部のけいは くなる礼儀ばかり勤る故、諸士の善悪得手不得手しれずして、其身に不得手なる役お申付る により、かならず仕損じ有り、旨儀によりては其身上お亡すに至るべし、家老職の者は常に温 和にして小身なる者おなつけ、其者の気質およく相届て、相応の役お勤さすべし、最負お以て 不相応の役お申付、仕損じたる時、重き罪科に申付る事、始の詮義つまびらかならざる故也、役 義お申付る時は、諸士一統の入札お以て其人柄お極め、その上にも私曲等在之者出来せば、其 者一人重き罪科に申付べし、なるべきかぎりは采禄お召放すべからず、播州豊州より召仕候諸 士は、何も身命おなげうち粉骨おつくしたる者共也、今我大国の主となる事、是は全く我等父 子の計略のみにあらず、臣下の力お合せし助けによつて也、大功ある諸士に不得手の役義お 申付、仕損じたりとて、重き罪科に申付る事、主君たる人の不徳、家老中の大なるあやまり也、
一子共に付候者、其人柄お再三詮義して念お入べし、其者善人なれば其子善人となり、惡人なれ ば惡人となるものなれば、其人およく〳〵撰み用る事ゆるかせにすべからず、近習の士もく わしく吟味お遂げ、人おえらびて申付る事肝要也、〈○中略〉
一国主たる人は慈愛お旨として人おあはれみめぐむこと肝要也、罪人ありとも、むざとつみす べからず、国中に罪人あるは、政事正しからずして、才判の行届かざる故也としるべし、常に能 く吟味おとげ、あらかじめ罪人のなき様に国政お執行ふべし、賞罪は委くし、吟味お経て罪人 おつみする事は、仁道によりて申付べき事肝要也、〈○中略〉
一大国の主将は、君臣の礼義のみとりつくろひて、定りたる出仕の対面ばかりにては、たがひの 心底善悪分明ならざるもの也、さるによつて出仕の外一け月両三度、其家老中、並小身の士た りとも、小分別も有者お召寄せ、咄お催すべし、其節咄候事は、主人も聞捨、家老も同前にして、伏 蔵なく其時節の事お物語すべし、たがひに心底お残すべからず、若遺恨となる事お申出す者 ありとも、此会の問答におひては、君臣共に少も怒り腹立べからず、或は主人の了簡違の事、或 は仕損じ有て、勘気お申付たる者のわび言等、其外何事によらず主人江申達しがたき事お残 さず語るべし、かくの如くする事怠るべからず、諸士は勿論万民の上までくわしく聞ふれて、 毎年其善惡明白にわけ、政道の益になる事多かるべし、
一倹約お専として無益の費なき様に心お用ゆべし、治世には万の事皆花美になりゆくものな れば倹約おむねとせざれば、年々つもりて火き費となり、後に行つまりて、国家お敗るに至る べし、又おしみ過て吝嗇なれば諸人にうとまれ、万の事はかゆかず、善お行ふ事も功お立る事 もなりがたし、是又国家お亡すの萌なり、財宝おみだりに用ひざるは、軍陣、天災、其外不慮の吉 凶に備へ、又は諸人に益有事に用ひんが為なれば、平生我身の物ずきお止て、少の事も費なく、 万の事過不及もなき様に、くわしく思案すべき事肝要なり、〈○中略〉
財用定則〈○中略〉
右之積り堅く相守り、城付用心除の分、年々間断なく相除け申べき事肝要也、数年之後は、広大 銀高になり、凡百年お越ては、今天下に配分之銀数過半は当家に集るべし、又世の治まりて静 なる事も、久しく続くものにあらず、大概百年百五十年、もしくは、弐百年程おへて変動する事 も有べし、是古よりためし有事なれば、あらかじめ其はかり事お定めて、覚悟すべき事第一也、 世の中もさわがしき時に当て、財宝多からずしては、武名お発し大切お立る事成がたし、領国 お丈夫に保つ事も成がたし、子孫輩我等が志お続て、掟の通堅く相守り、倹約お勤て、弥我身お 慎み、仁徳お万民に施し、政道お正しく、家風おいさぎよくせば、天下の人皆当家の仁政お聞伝 へ、なびきしたがふ者多かるべし、誠に文武の道おわきまへ、身お立功名お揚んと思ふ程の士 は、主君お撰びつかふるものなれば、まねかずして馳集るべき事勿論なり、然る時はおのづか ら諸家にすぐれて、権威おふるわん事顕然たり、されども俄に富さかへん事おたくみ、国民お しへたげ諸士に貪りては、必ず国家お亡す基となるべし、あながち金銀珠玉お宝とせず、諸士 国民お宝として、仁徳お以て撫育すべし、かならずしもみだりに金銀お集むべからず、又多年 の功おつみて、自然と富貴お得る時は、更にわざわひの起るべきやうなし、君臣共に此旨およ く相守り越度なきやうに万事お執はからひ、我等掟に背くべからず、又子孫にいたり、不義遊 逸お専とし、諫お聞入ず、自由おはたらき、掟お相守らず、みだりに財宝お費す者有ば、家老中申 合せ、其者お退け、子孫の内より人柄お撰びて主君とし、国家お相続せしむべし、此趣は家老中 能心得、銘々の子孫〈江〉申伝へ置べき事肝要なり、
右件之条々、堅永々相守可申事肝要也、
元和八戊年九月 御書判(長政公)
右衛門佐殿
井上周防殿
小河内蔵允殿
黒田美作殿
相山丹波殿
栗山大膳亮殿