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貝原篤信家訓
聖学須勤
一凡人たる者は、聖人のおしへお貴び受、つよく志お立て、人のみちおまなび知り、勤行ひて、君子 とならん事おおもひ、つねにこゝうにかけ怠るべからず、これ聖学にこゝろざすのみちなり、〈○中略〉 幼児須教
一およそ小児お教育るに、始て飯お食、初ものいひ、扮人の面お見て、悦び怒る色お知る程より、常 にたえまなく教ふれば、やゝおとなしくなりて、誡る事なしやすし、故に小児ははやぐ教べし、 おしへいましむる事遅して、悪く癖に成ては、改る事なり難し、悪事多く間馴いれば、後には善 事おおしへても移らず、偽れる事、驕り四なる事お、はやくいましめて、必ゆるすべからず、幼よ り人お欺きいつはる事おつよく咎むべし、また幼子おあざむきて、いつはりお教ふべからず、 大やう小児のあしくなりぬるは、父母乳母かしづき馴る人の、おしへの道しらで、其子の本性 お傷へるゆえなり、暫諦声お止んとて、此お得さすべし、彼お与ふべしなどゝすかして、誠なき 事なれば、即是偽お敦るなり、又恐しき事どもにて、より〳〵おとしいるれば、後には億病のく せとなる、武士の子は殊に是お誡べし、〈○中略〉
士業勿怠〈○中略〉
一四民の内、士お以て長とす、故に士となるは大なるさいはひなり、文武のみちおまなび、身おた て道お行ひ、その家お興し、先祖よりの家業お弥保ち守るべし、若艱危に値、貧窮になり、或は多 病にして、君に仕ふる事なりがたくて、農工商とならん事は口惜けれど、義によつて業お改る は苦しからず、但利の為に父祖の家業お捨て、庶民となるべからず、我子孫是おいましむべし 〈○中略〉
右の三条は、我愚蒙の言にあらず、古人意又如斯、我子孫たらん人、必厚く信じ、慎ておもひ、常に 心に保ちて、守り行ふべし、違背すべからず、各其子のとし十五に及ばゞ、此法お相伝すべし、若 幼にして父お喪ふものあらば、其兄及一族の内の長者其孤おおしへて、此法お僅ふべし、常に ふかく秘して、他人に聞しむべからず、各其子もまた其子に伝へて、万世に至る迄、永く廃すべ からず、若此法に背く者あらば、大不幸におちて、我等泉下に朽ぬるとも、恨み悪むべき者也、
貞享三年甲子八月 貝原篤信書