浪花の風
当地にて名高き富商鴻池、善右衛門が家の掟は、貝原篤信が定むる処といふ、此事お其家に尋るに、左様なること決て無之よしお答ふといふ、されど世上にて、貝原が定るといふ説、一般に唱ふることにて、按るに何か子細ありて、此事お善右衛門方にては、深く秘することにやと思はる、何にいたせ、其家の掟は規則能整ひて代々是お守るといふ、其一つお雲ば、店に居る若きものも数十人なれども、其著服四季施等、皆古来よりの仕来りお守る故、他の店の者と混れることなく、且此ものども、時に寄て店の引けし後は、夜中十人廿人寄集りて、酒のみ戯れ遊び、浄瑠璃又は乱舞抔の学びおなして興ずることあり、是お陰にて聞時は、美酒嘉肴ありて、大酒宴の有様なれども、其席お伺ひ見れば、肴といふものもなく、先は菜漬の香の物か、左なくは塩鰯抔お少々計り肴となして、酒のみ楽む体、実に二百年も以前は、かくやありけんと思はるゝことにて、今世の目より見る時は、興のさめたる体なりといふ、〈○中略〉万事此一二事に付て、其余の家法正しき事、推て知るべきなり、