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源氏物語
四十六/椎本
あきふかく、成行まゝに、宮〈○宇治八の宮〉は、いみじう物心ぼそくおぼえ給ければ、例の静なる所にて、念仏おもまぎれなくせんとおぼして、君達にもさるべきこときこえ給、世のこととして、ついのわかれおのがれぬわざなめれど、思なぐさむかたありてこそ、かなしさおもさますものなめれ、又みゆづる人もなく、心ほそげなる御有様どもお、うちすてゝんがいみじきこと、されどもさばかりのことにさまたげられて、ながき世のやみにさへまどはんがやくなさ、かつみ奉る程だに思ひすつる世お、さりなんうしろのこと、しるべきことにはあらねど、我身ひとつに、あらず、過給にし御おもてぶせに、かる〴〵しき心どもつかひ給ふな、おぼろげのよすがならで人のことにうちなびき、この山里おあくがれ給な、たゞかう人にたがひたる契ことなる身と覚しなして、こゝによおつくしてんと思とり給へびたぶるに思ひしなせば、ことにもあらず過譫る年月成けり、まして女はさる方にたえこもりて、いちじるくいとおしげなるよそのもどきお、おはざらんなんよかるべきなどの給ふ、〈○中略〉おとなびたる人々めし出て、うしろやすくつかうまつれ、なにごとももとよりかやすく、世にきこえあるまじききはの人は、末のおとろへもつねのことにて、まぎれぬべかめり、かゝるきはになりぬれば、人は何とも思はざらめど、くちおしうてさすらへん契かたじけなく、いとおしきことなんおほかるべき、物さびしくこゝろぼそきよおふるは、れいのことなり、むまれたる家のほど、おきてのまゝにもてなしたらんなん、きゝみみにも、わが心ちにも、あやまちなくばおぼゆべき、にぎはゝしく人かずめかんとおもふとも、そのこゝうにもかなふまじきよとならば、ゆめ〳〵かろ〴〵しく、よからぬかたにもてなしきこゆななどの給、まだ暁に出給とても、こなたにわたり給て、なからんほどこゝろぼそくなおぼしわびそ、心ばかりはやりてあそびなどはし給へ、なにごとも思にえかなふまじき世おな、おぼしいれそなど、かへりみがちにて出給ぬ、