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太平記
十六
正成下向兵庫事
正成、是お最期の合戦と思ければ、嫡子正行が今年十一歳にて供したりけるお、思ふ様有とて、桜井の宿より、河内へ返し遣すとて、庭訓お残しけるは、獅子子お産で、三日お経る時、数千丈の石壁より是お擲、其子獅子の機分あれば、教へざるに中より馺(はね)返りて、死する事お得ずといへり、況や女已に十歳に余りぬ、一言耳に留らば、我教誡に違ふ事なかれ、今度の合戦、天下の安否と思ふ間、今生にて、女が顔お見ん事是お限りと思ふ也、正成已に討死すと聞なば、天下は必ず将軍〈○足利尊氏〉の代に成ぬと心得べし、然りと雲共、一旦の身命お助らん為に、多年の忠烈お失て、降人に出る事有べからず、一族若党の一人も死残てあらん程は、金剛山の辺に引籠て、敵寄来らば、命お養由が矢さきに懸て、美お紀信が忠に比すべし、是お女が第一の孝行ならんずると、泣々申含めて、各東西へ別れにけり、