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藩翰譜
十上/小出
初め太閤〈○豊臣秀吉〉小出播磨守秀政、片桐市正且元お以て、秀頼の御榑になさる、薨じ給はん際に臨て、彼の二人お御枕近く沼されて、いかに女等承れ、吾家の天下は、我一日も世に在らん程ばかりぞ、吾失せなん跡は、亡びんこと遠きにあらず、斯く世に在らん程、我家亡びざらん事お計らんとするに、本朝の災また立所に在りぬべし、彼お思ひ此お計るに、此七年が程、朝鮮お討ち、大明と戦ひ、両国に仇むすびし事こそ、吾が一生の不覚なれ、我なくなりなん後彼国に向ひし十余万の軍勢、生て帰らんこと、思もよらず、夫れも亦希有にして、免て帰り来る事こそ有るべけれども、あやしの鳥獣も、仇お忘れぬは、生ける者の習ひなり、ましてや大国の君臣おや、など此年月の仇報はんと思はざらん、さなきだに、元の壮祖の本朝お討んとせしこと、遠き鑒にあらずや、其時に至て、秀吉が後、誰あつてか本朝の動き無らん様お計るべき、隻徳川の内府こそ、此事には堪へぬべけれ、此人若し本朝の大勲お致されんには、〈○中略〉天下自ら彼家風に帰しなまし、物の心おも分たぬ輩が、なまじひに秀吉が私の恩忘れかねて、幼き秀頼お主になし立んなど計て、彼家と天下お争そはんとせんには、我家自ら亡びんこと、踵お廻すべからず、〈○中略〉女等、我世継の絶えざらんことお思はゞ、相構へて此人に能く随て、秀頼が事惡しう思はれの様にすべし、さらば又我が世嗣絶えざらん事もありぬべし、此事ゆめ〳〵忘るゝこと勿れと仰せ置かる、