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常山紀談
十八
慶長十九年、票田孝隆入道如水、病重く成て、子の甲斐守〈○長政〉および、〈○中略〉紫の〓(ふくさ)に包みたる草履片足に木履片足取出し、軍は万死に入て一生にあふ習ひなり(○○○○○○○○○○○○○○○○)、十全お思慮しては協ふまじ(○○○○○○○○○○○○)、たとへば草履木履おはきたるごとく(○○○○○○○○○○○○○○○○)、二つものかけの軍おする心得せられよ(○○○○○○○○○○○○○○○○)、女は才智有て先の事お予め料る故に、大功はゆめ〳〵協ふまじ、偖めんつと雲物は飯お盛ものよ、上天子より下百姓に至るまで、一日として食物なくては、世にながらふる者はなき事なり、国お富し士卒お強うするの根本一大事、此飯入にあり、必わするべからず、かゝる故に此めんづお、かたみに参らすといはれけり、