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備前老人物語
一吉村又右衛門は、人のしりたる武勇の人也と申しき、中国へ罷下らんとせしころ、暇乞とて夜中に来れり、又いつあふべきもしるべからずなどいひて、酒飲て、過し事ども心しづかに語ふ、いまは夜深ぬざらばとて立かへるほどに、門のぞとまで送りて、命あらば又ぞやあふといつて、たちわかれんとせしに、〈○中略〉今すこし送れよといひて、二三町ばかりかたらひゆくに、吉村いひけるは、人の終らんとする時、かならず一言おのこすもの也といへり、我老たり、これ今生の御暇乞なるべし、その方年わかし、相かまへてつらくつなき者に、とほざかるべし、〈○中略〉今はこれまでそ、ざらば〳〵返す〳〵も、命あらばといひて立わかれけり、その時の事、老後の今も忘れがたし、目にある耳にあるがごとし、つらくつなしとは俗語なるべし、たとへば我まゝにして異見おも聴いれず、気随なる者おいふとみえたり、