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澀柿
文覚上人消息かさねての仰委承候ぬ、御返事は先に申て候へども、猶同じ事お申候也、返々も故大将殿〈○頼朝〉の仰おうけたまはるとおぼえ喉て、忝哀にこそ覚候へ、御祈の事は、〈○中略〉仰なき先より安穏におはしまぜと、念願する事にて候、但徳お行、善お好む人にとりて、祈はかなふ事にて候、不義に振舞家には、いかなる祈も不協候也、不義とは無道に物の命お断、酒にめで財にふけり、歓楽して明し暮すほどに、人の歎もしらず、国の安からぬお、かへりみざるお申事にて候、徳とも善とも申候は、仏法おあがめ、王法お重じ、世おすくひたすけはぐゝむ心也、あやしの賤男、賤女、百姓、万民にいたるまで、万の物に父母のごとくに、たのまるゝ心ばへおもちたるお申候也、かやうの心づかひはなくて、放逸不思議成が、さすが我身おたもたばやとおもふ人、僧侶にあつらへ、諸道に仰て、祈請するお、僧侶も可然仰蒙たりとて祈申す、まして外法の諸道は、雲に不及、たのもしげに申て、祈たれども、其檀那よからざれば、あへて感応なく、かへて惡候也、さ候へば、僧もおんやうしもしつらひたる心なくて色代せず、有の儘にさは〳〵と候はん者に、御祈お仰付て、御身のとがおも聞召て、押直々々してそよく候べき、御身のおさまらずして、隻祈と計にては、あやうき事にて候、殿の御身は、日本国の大将軍にておはします、されば祈申さん者も、広大正直の心お以、努々千秋万歳して、空ほめし奉らぬ無双の強者の、しかも慈悲あらんが、御祈の師には可相応候也、総而は君お守たてまつり、御身お祈んと、おぼしめさば、先国土お祈、万民お祈らせ可給候、祈は人の身の分際による事にて候、威勢世に蒙らしめず、人にも用られず、さる様なる者こそ、我身お祈事にて候へ、此道理おしらずして、近代は君も臣も唯身おのみ祈らせ給へば、はか〴〵敷事候はず、仏神の冥慮にも不協、蒼天の照覧にもたがひ候也、返々も鎌倉殿の御恩にて、無道の愁なげきもなく、邪の禍にもあはぬぞと、万の人に思はれ、たのまれんとおぼしめせ、左だにも候はゞ、別而御祈候はずとも、伊勢太神宮、八幡大菩薩、加茂春日、皆々嬉しと思召、諸仏諸聖、諸天善神、必々守まいらせさせ給べき也、〈○中略〉さても近代の様、人の作行功徳も祈も、人目計にて候、真実の底には、国の費、人の歎のみにて候へば、仏も神もうけさせ給はず候也、仏神は、偏に徳と信とお納受して、物により宝お悦ばせ給はぬものと、可知食にて候也、かやうの事の謂お、御意得候て、武家お治、帝王の御守と成、諸人の依怙とならせ給候はゞ、聊もあしく腹くろく思まいらせん者おば、日本国三世の敵にて候はんずれば、其身自然に可滅候、如此委様おも申ひらかずして、蒙仰お悦として、御気色およからんとのみおもひて、仏神の御心おばかへりみおもはず、たのもしげに申な、して、御祈申候はん事は、田地の費と成、庫倉の物のみうせて、御為も一切、其益有まじく候、却て御怨にて候也、文覚も罪業お受べく候、さる御損おば、いかゞとらせまいらせ候べき、猶々伊勢八幡等の太神善神は、財宝珍物おまいらするには、ふけらせ給候はぬが如く御存知候へ、たゞ心うるはしく身おさまりたる人おまほらせ給候也、〈○中略〉隻御祈には、正直慈悲お先として、内典外典其名のうるはしき者に仰て、施物お限らず御祈誓候はゞ、君も御心安く、民百姓も楽候、仏神の擁護も疑有まじく候、主なき所領は有間敷候、夫お神社仏寺に寄進事は、返々神道に可有御背候、是お能々御心得可有候、皇居お守、人民お育ませ給事にて候へば、偏に諸の寺社等お御心中に不忘、破壊顚倒せんおば、限有事に付て、修理可有候、仍此国の民の愁は、うたてしき事にて可有候、大海はくぼきに依て、水たまり候様に、心うるはしき人の身に、福徳は集候、さても〳〵八幡の心、うるはしきものお、まほらんと仰候は、心うるはしきと申候は、帝王摂政将軍の、構て身の楽お思はず、隻いかにもして、人おつひやさず、人おくるしめ詫しめず、国土おたのしく安して、寒暑時おあやまたず、飢疫の禍なく、兵乱なく、浪風もたゝず、世間お静になさんと営給お、心正きとは申候也、返々も殿の御身は武士の徳お一も不洩双備と、励せ給へ、扠君の御敵と成ものは、謀反人にもあらず、無道に人おわびしむる怨人にもあらず、させる罪なからん者おば、構て〳〵ほろぼさじと思食、いたく狩漁おこのみたのしみて、そゞろに物の命お殺事お、なさせ給そ、物おころさず、物の命お扶お、能将軍とは申候也、然お我身おさまらずして、天下の人に、よき人ともおもはれさせ給はねば、山だち海賊強盗窃盗多くして、絡には国のほろび候也、禁制頻に下、御下知しげく成候へども、弥仰こそかろく成候へ、一人お斬せ給共、惡党十人に可成候、いよ〳〵こそあしく候はんずれ、是おば我御身の科とは、つや〳〵不思召して、悪党の科とのみ思召て、捕よ搦よ、うてはれ、召籠よ、籠囹御に入よくびお切、手足お断などゝ被仰候はんも心うく候べし、偖後生の罪おば、如何せさせ給べき、全人のする科にてはなし、隻我身のおさまらぬ科と、ふかく思召、武家の政道は、いかさまにも物お知て候し人に問し時、よに安しとて、隻一口に答へ候しは、的お射に似たりと申候也、是お御心得候へ、是は目出度本文にて候、さて御身だに治候ぬれば、兎あれ角あれとの御いましめもなく、御下知もなく、御教書も候はねども、あなおそろしとて、自然に国土はおだしく候也、