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平治物語

六波羅合戦事
義朝是お見給て、義平が河より西へ引つるは、家の疵と覚るぞ、今は何おか期すべき、討死せんとて被懸ければ、鎌田〈○政家〉馬より飛で下、七寸(みづヽき)に立て申けるは、昔より源平弓矢お取て、何も勝負なしと申せ共、殊更源家おば、皆人武き事と申侍り、譬ば栴檀の林に余木なく、崑崙山には土石悉美玉なるが如く、源氏に属する兵迄も、弓矢取ては名お得たり、それに今朝よりの合戦に、馬なづみ人疲て、物具に透間多、矢種尽打物折て、残御勢過半は疵お被れり、今敵に懸合とも、甲斐々々敷はなくて、雑人の手に懸り、遠矢に被射て討れ給はん事こそ、歎の上の悲みなれ、如何に況大将の御死骸お、敵軍の馬の蹄に懸む事おや、暫いづくへも落させ給、山林に身お隠しても、御名計お残置、敵に物お思はさせ給はんこそ、謀の一にても候べけれ、隻今援にて討れさせ給なば、敵は弥利お得、諸国の源氏は皆力お落し果、忽に敵に属し候なん、縦難遁して御自害候とも、深く隠し進らせて、東国の御方の憑みある様にこそ、御計ひ候はんずれ、死せる孔明、いける仲達おはしらかすとこそ申たるに、やみ〳〵と敵に打捕られ給はん事、誠に子孫の御恥辱たるべし、御曹司も定て御所存有てぞ御座らん、早落させ給へと申せば、東へ行ば逢坂山、不破関、西海に赴かば須磨明石おや過べき、弓矢取身は死すべき所お邇ぬれば、中々最後の恥ある也、隻援にて討死せんと進給へば、政家重て申様、こは御定とも覚候はぬ物哉、死お一途に定むるは近して安く、謀お万代に残すは遠くして堅しと雲へり、協はぬ所にて御腹召れん事、何の儀か候べき、越王は会稽に下、漢祖は栄陽お遁る、皆謀おなして遂本意しに非ずや、身お全して敵お滅すおこそ、良将とは申て候へ、疾疾延させ給へとて、御馬の口お北の方へ押向ければ、鎌田が取付たるお力として、兵数多下立て、懸させ奉ら子ば、無力河原お上りに被落けり、