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鎌倉大草紙

永和五年己未三月三日改元、康暦元年に移る、〈○中略〉京都の動闘に付て、内々すゝめ申人ありけるにや、鎌倉殿〈○足利氏満〉思召たつ事有、已に憲春に御評定あり、上杉大におどろき諫奉るといへども、御承引なし、思召定められたる御返答お承り、上杉諫め兼て、我館山の内へ帰りて、〈○中略〉氏満公へ御謀反協まじき由お、再三自筆に書おき、持仏堂へ入て則腹切給ひける、法名道珍と号す、鎌倉殿大きに驚き給ひ、忽に京都の公方将軍の御望おやめられ、御後悔ありて、同卯月晦日に三島まで打立ける上杉安房入道道合に、管領お被仰付、