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常山紀談
附錄/雨夜灯
大内義隆は周防長門豊前不残領国にて、安芸石見も領地なり、〈○中略〉其比並なき大名なりければ、漸武備に怠り、遊山お楽み、茶の会に日お暮し、家中国中の難義お露も知らず、仕置は家老の陶尾張守晴賢に任せられしかば、尾張守二心お持きざし有、毛利元就是お察し、或夜密に義隆の前に出て、古より国お奪ひ候事、皆其家の家老にて候、それ故明君はよく家来お引まはし、威お家老に奪はれず候、威お家老に奪はれ候ては、役義お雲付、知行おやり候ても、其主君よりの下知と不存、家老より取はからひ申すと心得候故、其主君は、あれども無がごとくに候、家老役人の勢、次第に強くなつて、後には其主君お殺し、国おも奪ひ候、今の様子危く候間、御心お付られ候へと、申給ひしかども、義隆合点なく、遂に尾張守に殺され給ひけり、