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陰徳太平記
三十八
大友義鎮耽女色附部次鑑連諫諍並義鎮殺家臣服部事九州の探題大友左衛門督義鎮、〈○中略〉女児の躍こそ興ある者なれとて、年の比二八よりに十許に及で、容貌端正なる美女共お、領内他国迄被尋ける、〈○中略〉戸次伯耆守鑑連(あきつら)は、〈○中略〉義鎮簾中にのみ在て、更に対面せられざれば、可諫様もなく、手お空しくして帰りけるが、鑑連屹と思惟して、優に艶しき女房数多お集め、〈○中略〉鑑連が御馳走に、跳おかけ申と言上す、義鎮も、始は〈○中略〉所労とて、見物もせられざりけるが、度重りて催しけるにぞ、有係(さすが)好む所の気に引れて、かく吾心お慰めん為の躍なれば、見物せざらんは無礼也とて、立出て被見ける、其時鑑連は、是吾躍児のめいぼく也と、大に悦び、扠三つ拍子と雲る跳お、二三遍跳らせ、首尾能仕廻せ、義鎮の機嫌好に仕済し、其上にて顔色お正しく、容止お荘(おごそ)かにして、恐多き申上様にて候へ共、〈○中略〉涙お流して諫言す(○○○○○○○○)、義鎮熟〻と聞給、鑑連が隻今の諫諍、一一道理に当れり、女ならでは誰有て、かヽる忠心お懐くべき、偏に祖父義長公の再誕して、教誨お視し給ふとこそ覚ゆれ、今日よりして、過お悔、善に遷り候なん、心易く思はれ候へと宣ければ、鑑連弥涙お落して、喜の眉お開く、明れば七夕の礼儀、恒例お追て対面有ければ、諸士大に悦び、登城の衣馬嗷々たり、