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豊薩軍記

伊東与島津合戦並伊東走豊後事
日向半国の領主おば、伊東修理大夫従三位藤原義祐入道とぞ申しける、〈○中略〉薩州の太守島津義久、伊東三位お攻傾け、八千町の郡庄お、掌握之内に帰せしめんと、深く思せ入られけるにや、折々軍さお出さしめ、合戦数け度に及びぬれども、伊東もさすが一方強将なる故に、一度も不覚の名お取らず、斯て年去り年来て、天正の初の頃ほひ、薩州の大軍、日州野尻へ打出、都於郡の城へ使お立て戦書お送り、〈○中略〉聞とひとしく血気の勇将、願ふ処の幸ひなりとて、早打出んとしたりけるに、援に伊東権の正とて、文武の才双びなく、〈○中略〉大剛の従臣あり、進み出て雲けるは、某ひそかに敵の意お察するに、度々の軍に利お失ひ、此度遺恨お散ぜんとて、大軍お引卒し、方便お廻し、軍配お繰り、日お撰み、運お考へ、安否お一時に決せんと、思ひ定めて、寄来りしと覚れば、容易御出馬あらん事、甚だ以て然るべからず、かく知るからは、此方にも、時日考へ多勢お卒し、臨機応変、様々に術お廻しうたさしめば、必ず是に懲おなし、以来の軍さ止みなん事もや候はん、今日味方打出ずとも、敵野尻お越事あるまじければ、姑く軍慮お廻らされ、敵方魚鱗に備お成さば、味方は偃月の陣お張り、方円ならば雁行お取り、鶴翼ならば長蛇お取り、鋒矢お取らば衡〓おとらん、かヽる事共、能々示し合さしめられ、明早天に、御進発然るべく候はんと、理お尽し諫めけれども、良薬口に苦く、忠言耳に逆ふ習ひにて、聊か用びざりければ、軍鑑山田土佐守、翼くば権の正が言に従ひ給へかしと、共に諫めお容しかども、延々なる両人の分別哉とて、却て怒り、即時に軍さお打出す、其時権の正、声おあげ、伝へ聞く呉子匹は、臭王の為に誅せられ、其霊魂、蜂と成て、越軍の援となりしとかや、我も亦其ごとく、蛇とも成て、伊東家の亡びなんずる世お見んと、辞お放て雑言し、迚も存うべきなら子ば、人より先きに、討死せんとて、鎧の上、経帷子お被り、諸軍に抽て魁とし、終に討死したりける、権の正が言しに差ず、其日の軍利なうして、若干討れて引退く、是よりして伊東家物毎に猥しくして、衰微の端とぞ成にける、