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藩翰譜
四上/本多
天正三年三月に、徳川殿、御脊中に疔といふもの出来て、既に危く見えさせ給ひしかば、内外の医療、術お尽しけれども、そのしるしなく、唯弱りに弱らせ給ひ、〈○中略〉重次〈○本多〉御枕に取つきて、泣々申けるは、殿も定めて覚えさせ玉ひなん、重次がむかし、此病おうけしに、たち所にしるし得し良医の候、彼お召して、見せ試み給ふべしと申す、諸医既に手おつかね、家康また死お決す、この上医療其詮なし、且は命おしむに似たりとて、用い給はず、重次大に怒つて、〈○中略〉年老たる重次が、御跡にさがつての御供、かなふべかちず、さらば御先へ参らんとて、御前お罷立、徳川殿大におどろかせ給ひ、あれ止めよと仰ければ、近く侍らふ人々走り出引とゞめ、仰らるべき旨あらせられ候といふ、〈○中略〉女がいふ所、ことわり至極せり、さらば医療の事は、女が心にまかすべし、天命既に至りて、家康空しくならんとも、女もまた家康が心に任せ、いかなる恥お見つべしとも、一日も生残て、後の事よきに計らふべしと存ずるや、いなやと仰ければ、重次が申旨に任せられんには、重次いかで又仰おや背くべきと申す、さらば医師めさせよとて召さる、医師やがて参て、御灸治よろしかるべしと申せば、重次、艾とつてすうる、御灸の痛み、覚えさせ給はねば、艾お増し加ふる事多くして、後いさゝか痛ませ給ふよし仰ければ、薬おつけて参らせ、御薬湯おも進め奉りしに、其夜の中に、御腫物潰れて、膿水血おびたゞしう流れ出で、御悩み立ち所に軽ませ給へば、重次は嬉し泣きに、声お限りに泣く、御前伺候の人々も、感涙お共に流しけり、