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備前老人物語
一池田三左衛門殿の家老伊本清兵衛病て、ふして既に末期に臨しに、我今生の望ある也、今一度君の御日にかゝりたき也とありければ、三左衛門殿きこしめし驚給ひ、いそぎその家にいたり、枕にちかづき給ひ、〈○中略〉清兵衛頭おあげ両手お合、これ迄の入御ありが亢く冥加至極せり、〈○中略〉たゞ一つ申たきこと候へば、これお申さずして、むなしくなりなんこと、妄執なるべければ、作恐申すなり、公つねに物ごとに、ほり出しおこのませ給ふ御病あり、中にも士のほり出しお専とし給ふこと、よからぬ御病なり、士はその分限よりは、一際よろしくあてがはせ給ひてこそ、長く御家お不去、忠節お存ずべしと申ければ、三左衛門殿つく〴〵と聞給ひ、隻今の諫言道理至極せり、其志山よりも高く、海よりも深し、生前において忘却すべからず、こゝろやすくおもふべしとて、清兵衛が手おとり、なみだお流し、なごり惜しげにわかれ給ひたりけり、君臣の情あはれなりしありさま、そのゝち家風ます〳〵よくなりしとぞ、