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常山紀談
二十
台徳院殿〈○徳川秀忠〉諸大名おめし、土井大炊頭利勝おもて、来年嗣君に世お譲らせ給ふべき旨、仰出されしかば、皆祝し奉りたる処に、井伊直孝黙然として有しかば、利勝かたへに招き、いかなる事ぞと問に、天下乱の本たりと存ずれば、目出度事とは存もよらずと申す、子細はいかにと問ふ、されば其事に候、大坂の乱、幾程なく江戸石壁のいとなみ、日光の土木、天下の諸大名、以の外に困窮せり、又世お譲らせ給ひなば、諸大名献上奉る物に費多く、将軍宣下の饗礼お取行ふべし、愈困窮に及び、下お剥、民お苦むるの外、更にせん方なからん、是民のなげき、乱のもとゝ存るなりと、申されしかば利勝猶なり、此旨ありのまゝ申べしとて、直孝お御次の間にともなひ、利勝御前に参りて、しか〴〵のよし申たりければ、即直孝お御前に召れ、女が申所猶なり、されども既に仰出されたれば易難し、猶是より後、憚る所なく申せと仰られしかば、直孝臣が申むね、然るべからずと思ひ候により、聞し召入られず候か、臣が言猶と思召なば、御用ひなからん事、仰とも覚え候はずと申されけるに、暫く御詞なかりければ、利勝臣既に年老ぬ、牡年の者直言お申候事、治世長久のもとに候、明日諸大名お召、掃部頭申旨、猶なるにより、相とゞめらるべきよしお、仰有て然るべう候ものおと申されければ、台徳院殿則諫に従はせ給ひけり、其時直孝、臣が申旨用ひさせ給ひ、辱き旨謝し奉りて退出せられけり、台徳院殿の諫に従はせ給ひし事、直孝の直言、美お尽せりと人申けり、