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藩翰譜
四中/鳥居
駿河殿〈○徳川忠長〉常の御行ひあら〳〵しくまし〳〵、大相国家〈○徳川秀忠〉の御心にも協はせ給はぬ御事多かりしかば、土佐守成次日夜に心お苦しめ、或時は色お和らげ、教へ導き参らする事もあり、又ある時は顔お犯して諫め争ひ奉る事もあり、完永二年正月十一日、青山大蔵大輔幸成、大相国家の御使として、駿河殿の御館に行向ひ、駿河遠江お賜ひ、本領甲斐お合せて三箇国お領し玉ふべき旨お述べしに、駿河殿悦せ玉ふ御気色もなく、又答へさせ玉ふ旨もなし、幸成は事がら惡しとや思ひけん、成次が方に向ひ、大国二つ参せらるゝのみにあらず、甲斐の国おも其儘に合せ領し玉ふべきとの事、返す〳〵もめで度御事に候と賀し申ければ、殿忽に御気色損じ、やあ大蔵大輔、甲斐国元の儘に領する事、忠長が分に過ぬと思ふや、たま〳〵天下の主の子弟と生れたらん身の、是程の国領せん事、何程の事あらんと、以の外に怒り玉ふお、成次よきに申直して幸成おば返したり、其後御前に参りて、抑本朝は小国なれば、五畿七道お合せて、僅に六十余州に分たれたり、君は相国の御子、将軍〈○徳川家光〉の御弟にてましませばこそ、それが廿分の一おば参らせたんなれ、なんぼう勇々しき御果報にてはましまさずや、夫に斯く少しも悦せ玉はぬ御事は、如何なる御心にてわたらせ給ひ候ぞや、其上既に人臣に列ならせ玉ふ上は、相国の御家人は皆御同僚にてこそ候へ、殊に大蔵大輔は、天下の政務お掌つて、時の重臣にて侍る人の、君父の御使に参りたらんお、かく恥がましく仰候ひし事、且は不忠不孝、且は無礼不義とも申べしと、なくなく諫め参らせ、頓て御供して、悦申の御出仕おなさせ参らせたり、