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駿台雑話

杉田壱岐
完永のころ、越前故伊予守殿〈○松平忠昌〉の家老に、杉田壱岐といふ者あり、もとは足軽なりしが、其身の材おもて微賤より登庸せられ厚禄おうけ、国老に列しけり、〈○中略〉常に犯顔直言して君の過お匡救する事お忘れず、ある時伊予守殿在国にて鷹狩し、晡時に及で帰城あり、家老どもいづれも出迎しに、伊予守殿ことの外気色よろしく、家老どもに対して、今日わか者どものはたらき、いつにすぐれて見へし、あれにては万一の事もありて出陣すとも、上の御用にもたつべしと、覚ゆるぞかし、其方どもも承て、いづれもようこび候へとありしかば、家老どもいづれも御家のためなにより、目出度御事にて候といひしに、壱岐一人末座にありけるが、黙々として居たりしお、何とぞいふかと、しばらく見あはせられしが、こらへかねられ、壱岐は何とおもふとありしに、其時壱岐隻今の御意承り候に、はゞかりながら歎がしき御事に存じ候、当時士共御鷹野などの御供に出候とては、さきにて御手討になり候はんもはかりがたく候とて、妻子といとま乞して立わかれ候と承り候、かやうに上おうとみ候て思ひつき奉らず候ては、万一の時御用に立べきとは不存候、それお御存知なく、頼もしく思しめさるゝとの御意こそ、おろかなる御事にて候へといひしかば、伊予守殿大きに気色損じければ、何がしとかやいひし者、伊予守殿の刀もちて側に居たりしが、壱岐に座お立候へといひしお壱岐聞て、其人おはたとにらみ、いづれもは御鷹野の御供して、しゝさるお逐てかけ廻るお御奉公とす、此壱岐が奉公はさにてはなし、いらざる事申候なとて、其まゝ脇指お抜てうしろへなげすて、伊予守殿のそばへ進みより、たゞ御手討にあそばされ下され候へ、むなしくながらへ候て、御運のおとろへさせ給ふお見候はんよりは、隻今御手にかゝり候はゞ、責て御恩の報じ奉る志のしるしと存じ候はんといひて、頸おのべ平伏しけるお見給て、なにともいはで奥へいられけり、其跡にて外の家老ども壱岐にむかひて、御為おおもひて申されしは猶にて候へども、折もあるべき事にて候、今日御鷹野より御機嫌にて御帰りありしに、御気さきおおられ候事は、遠慮もあるべき事にこそと雲しお、壱岐、君へ諫お申上候に、御機嫌お考候ては、よき折とてはなき物にて候、今日はよき序とこそ存候へ、其上某事は、御取立のものにて候へば、各とはわけのちがひたる者にて候、御手討にあひ候ても、其分の事にて候といひければ、諸家老各感じあひける、さて家に帰りつゝ、切腹の用意して君命の下るお待けるが、〈○中略〉夜ふくる程に人来て、門おたゝきしが、召あるまゝ登城すべしとなり、さてこそとおもひて登城しけるに、すぐに寝所へめし入、其方が昼いひし事、心にかゝりて寝られぬ間、夜陰なれどもよびつるなり、わがあやまりたる事3、とかくいふに及ばず、其方が心ざしおふかく感じ思ふて、満足するとの事にて、直に腰の物お賜りしかば、壱岐も思ひ寄らぬ事にて、おぼへず落涙に咽びつゝ、拝賜してまかり出けるとぞ、