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源平盛衰記

入道院参企事
主馬判官盛国此形勢お見て、穴浅猿(あなあさまし)と思ければ、小松殿に馳参、世は既にかうと見え侍り、入道殿〈○平清盛〉御きせながお被召たり、公達も侍も悉く被打立たり、法住寺殿へ御参有て、法皇〈○後白河〉お鳥羽の御所に移し進らすべしと、披露候へども、実は西国の方へ御幸あるべきとこそ内々承つれ、いかに此御所へ御使は不被進やらんと申ければ、大臣大に騒給て、使者は有つれ共、何事かは有べきと思食つるに、今朝の入道の気色さる物狂はしき事も有覧とて、急ぎ西八条へ被馳参けり、〈○中略〉
小松殿教訓父事
内府やヽ暫く在て、直衣の袖より畳紙お取出し、落る涙お推拭被申けるは、左右の子細は暫く閣、此御貌見進するこそ現とも存じ候は子、流石我朝は辺鄙粟散の境と申ながら、天照太神の御子孫国の主として、天児屋根尊の御末、朝政お掌給しより以来、太政大臣の官に昇れる人、甲胃お著する事輒かるべしとも覚えず、就中出家の御身也、夫三世の諸仏の解脱幢相の法衣お脱捨て、忽に弓箭お帯し御座さん事、内には既に破戒無慚の罪お招き給、外には又仁義礼智信の法にも背御座覧と覚ゆ、傍恐ある申事にて候へ共、暫く御心お閑(しづ)め御座て、重盛が申状お具に可聞召哉覧、且は最後の申状と存れば、心底に旨趣お不可残、先づ世に四恩と雲事あり、諸経の説相不同に、内外の存知各別也と雲へども、且く心地観経お見候に、一には天地恩、二には国土恩、三には父母恩、四には衆生恩、是也、以知之人倫とし、不知お以て鬼畜とす、其中に猶も重きは朝恩也、普天之下莫非王土卒土之浜莫非王臣文、されば彼穎川の水に耳お洗ぎ、首陽山に蕨お折ける賢臣も、勅命の難背礼儀おば存とこそ承れ、何況倩上古お思ふに、御先祖平将軍貞盛は、相馬小次郎将門お被誅たりけるも、勧賞被行事受領には過ざりき、伊予入道頼義が貞任宗任お滅したりけるも、いつか丞相の位に昇り、不次の朝恩に預し、就中此一門は、忝く桓武天皇の御苗裔、葛原親王の後胤とは申ながら、中比よりは無下に官途も打下て、下国の受領おだにも宥されずこそ有けるに、刑部卿殿、〈○平忠盛〉備前守の御時、鳥羽院の御願、徳長寿院造進の勧賞に依て、家に久しく絶たりし、内の昇殿おゆるされける時は、万人唇お反し侍りけるとこそ伝承候へ、去ども御身は既に先祖にも未拝任の例おきかざりし、太政大臣お極めさせ御座上、又大臣の大将に至れり、所謂重盛など暗愚無才之身お以、蓮府槐門の位に至る、加之国郡半は一門の所領となり、田園悉く一家の進止たり、是希代の朝恩に候はずや、今此等の莫大の御恩お忘て、濫く君お奉傾らんと思召立こと、天照太神、正八幡宮の神慮にも、定めて背き給べし、背朝恩者は、近は百日、遠くは三年おすごさずとこそ申伝て侍れ、昨日までは人の上にこそ承つるに、今日は我身に係なんとす、其上日本はこれ神国也、神は非礼お受給はず、而に君の思召立処、道理猶至極せり、此一門代々朝敵お平げて、四海の逆浪お鎮(まも)る事は、無双の勲功に似たれ共、面々の恩賞に於ては、傍若無人と申べし、聖徳太子十箇七条の憲法には、人皆有心、心各有執、彼是則我非、我是則彼非、我必非聖、彼必非愚、共に是凡夫耳、是非之理、誰か能可定、相共に賢愚にして、如環無端、是以彼人雖嗔、還恐我失とこそ承れ、依之君事の次お以て奇怪也と思召ば、猶も御理にてこそ候へ、然而御運の尽ざるによりて、此事既に顕ぬ、被仰含大納言、又被召置ぬる上は、縦君如何なる事思食立と雲とも、何の恐か御座べき、大納言已下の輩に、所当の罪科お被行候はん上は、退て事の由お陳じ申させ給て、君の御為には弥奉公の忠勤お尽し、人の為にはます〳〵撫育の哀憐お致させ給はヾ、仏陀の加護に預り、神明の冥慮に背べからず、神明仏陀の感応あらば、君もなどか思召直す御事もなかるべき、濫く法皇お傾進せんとの御計、方々不可然、重盛に於ては御供仕るべしとも存じ侍らず、不以父命辞王命、以王命辞父命、不以家事辞王事、以王事辞家事と雲ふ本文有り、又君と臣とお並、親疎お分つ事なく、君に付き奉るは忠臣の法也、道理と僻事とお並べんに、争か道理に付ざらん、是は専君の御理にて御座候へば、神明擁護お垂給らん、さらば逆臣忽に滅亡し、凶徒即ち退散して、八〓〈○〓一本作荒〉風和ぎ、四海浪静らん事、掌お返すよりも猶速なるべし、去ば重盛院中お守護し進せ侍ばやとこそ存候へ、重盛始は六位に叙し、今三公に列るまで、朝恩お蒙る事家に其例なし、身に於て過分也、其重き事お思へば、千顆万顆の珠にもこえ、其深き色お論ずれば、一入再入の紅にも定めて過たるらん、然者院中に参り籠り侍なん、其儀ならば重盛が命に替、身に替らんと契お結べる侍、二百余人は相随へて持て候らん、此者共は去共重盛おば捨思はじとこそ存候へ、是以て先例お思に、一年せ保元の逆乱の時、六条判官為義は、新院の御方に参り、子息下野守義朝は、内裏に参て、父子致合戦、新院の御方軍破て、大炊殿戦場の煙の底に成しかば、院は讃州へ下向、左府は流矢にあたりて失給ぬ、大将軍為義法師おば、子息義朝承て、朱雀大路に引出し、首お刎たりしおこそ、同く勅定の忝けなさと雲ながら、惡逆無道の至、口惜事哉と存候しが、正御覧ぜられし事ぞかし、其二人の上の様に浅増と悲かりし事の、今日は又重盛が身の上に罷成ぬる事よと存こそ心憂覚候へ、悲哉君の御為に奉公の忠お致さんとすれば、迷廬八万の頂より猶高き、父の御恩忽に忘れなんとす、痛哉不孝の罪お遁れんとすれば、又朝恩重畳の底極めがたし、君の御為に既に不忠の逆臣となりぬべし、雖君不為君、不可臣以不為臣、雖父不為父、不可子以不為子といへり、雲彼雲此、進退こヽにきはまれり、思に無益の次第也、隻末代に生お受て、係る憂目お見る重盛が、果報の程こそ口惜けれ、されば申請る処御承引なくして、猶御院参有べくは、隻今重盛が頸お召るべく候、所詮院中おも守讃仕べからず、惡逆の咎難遁、又御供おも仕べからず、忠臣の儀忽に背候、申請る詮たヾ頸お召さるべきにあ、り、唯今思食合せ御座すべし、御運は既に末に望ぬと覚候、人の運命の尽んとする時、加様の事は思立事にて侍り、老子の詞こそ思しられ候へ、功名称遂不退身避位則遇於害と申せり、彼の漢蕭何は勲功お極に依て、官大相国に至り、剣お帯し冠〈○冠一本作履〉お著ながら殿上に昇る事お被免しか共、叡慮に背く事有しかば、高祖重く禁て、廷尉に下して深罪せられき、加様の先従お思侍るにも、御身富貴と雲、栄花と雲、朝恩と雲、重職と雲、極させ御座しぬれば、御運の尽事も難かるべきに非ず、富貴之家禄位重畳、猶再実之木、其根必傷るとも申す、心細くこそ覚候へ、噫呼邦無道富貴恥と雲本文あり、されば重盛何迄か命生て、乱れん世おも見るべき、唯速に頸お食れ候べし、人一人に被仰付て、御つぼに引出されて、重盛が言お刎られん事、安事にこそ候へ、人々是おばいかヾ聞給やとて、又直衣の袖お絞つヽ、泣々被諫申けり、