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太平記
十六
多多良浜合戦事附高駿河守引例事
将軍〈○足利尊氏〉は香椎宮に取挙て、遥に菊池が勢お見給ふに、四五万騎も有らんと覚敷く、御方は才に三百騎には過ず、而も半は馬にも乗ず、鎧おも著ず、此兵お以て彼大敵に合ん事、蚍蜉動大樹、蟷蜋遮流車不異、〓なる軍して、雲甲斐なき敵に合んよりは、腹お切んと将軍は被仰くるお、左馬頭直義〈○尊氏弟〉堅く諫申れけるは、合戦の勝負は必しも大勢小勢に依べからず、異国に漢高祖栄陽の囲お出時は、才に二十八騎に成しかども、遂に項羽が百万騎に討勝て天下お保り、吾朝の近比は、右大将頼朝卿、土肥の杉山の合戦に討負て、臥木の中に隠し時は、僅に七騎に成て候しか共、終に平氏の一類お亡して、累葉久武将の位お続候はずや、二十八騎お以て百万騎の囲お出、七騎お以て伏木の下に穏れし機分、全く億病にて命お捨兼しには非ず、隻天運の保べき処お恃し者也、今敵の勢誠に雲霞の如しといへども、御方の三百余騎は、今迄著纏て我等が前途お見はてんと思へる、一人当千の勇士なれば、一人も敵に後お見せ候はじ、此三百騎志お同する程ならば、などか敵お追払はで候べき、御自害の事、曾て有べからず、先直義馳向て 軍仕て見候はんと申捨て、左馬頭香椎宮お打立給、