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武野燭談
十二
井伊直政智謀伊奈図書忠死之事
内府様〈○徳川家康〉より今度有軍功〈○闘原役〉諸大将へ御加増ありしに、井伊本多に所替被仰付御書付お賜ふ、其御加増の少きおや不足しけん、先拝領仕間敷由お申て、折紙お返上し思ひふてたる体にて退去し、毎度述懐申なるお、永井右近大夫直勝聞兼て、直政に異見しけるは、貴殿は徳川家の功臣にて、一二の撰にまします身の、左様に禄お貪り玉ふ事こそ心得子、御加増の折紙お御拝領可然ありければ、丘は部不敢聞、永井其方などが不被存事也、左までの無忠与力一篇の大名共には、大国大領お賜り、我々が参州以来、粉骨お尽したる無甲斐、無益之奉公おば、恨むまじき事かはと、猶以心ゆかぬすぢに申ければ、右近大夫重て、是は直政の仰共不存事に候、各如我々御譜代の輩は、如何様に被召仕とて、何と御恨可被申上、今度御味方被申たる諸大名は、他の恩禄お以て立一家人々也、此輩の無加勢、争で此度の御一戦、御旗本の人数計りにて、鬼神の働ありとも、御利運無覚束、去ば国々の大名は公界也、如各我々、御内証ぞかし、殊に御人数も多く預り玉ふ上は、昔お思召ば、御恩浅きとは被申間敷、御辺無御預之人数、樊噌お欺き玉ふとも、何程の働きか有之雲へば、兵部大に腹お立て、右近などが類の兵部と思はるヽかと広言す、永井嘲笑て愚なりとよ直政、此右近にも御辺程の人数お預させ玉はヾ、などか貴殿に可劣、小身なれば働き所存之通りには難協、左程理に暗からんとは不存、年来申かはしたるこそ口惜けれ、此以後は不通也と雲て立去ぬ、其後直政〈○中略〉誤お改る、〈○下略〉