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白河楽翁公伝
公〈○松平定信〉世子にて在せし間は、本多弾正大弼忠籌朝臣、同肥後守忠可朝臣、戸田采女正氏教朝臣、奥平大膳大夫昌勇朝臣、堀田豊前守正穀朝臣、松平山城守信享朝臣と交り、互に善お勧め過お糺し、或は和歌など詠じ楽しみ給ふ、此信享朝臣は放蕩の行ありて、家臣も服せざりしに、益友に交りたきとて、忠籌朝臣お紹介と頼み玉ふに、公強て絶べきにも非ず、併ながら重て風流にのみ僻し玉はゞ諫むべし、諫て聞れずば交お絶べしと約して交お結び、心術治国の事など専ら討論し、信享朝臣も親切なる様に見え給へば、公限りなく悦び玉ふに、信享朝臣蓄鳥お好、珍奇の物お募り求めらるゝ、〈信享朝臣此頃国費して、家臣の手当も不行届なる時なり、〉此事ふかくつゝまれけれども、公其実お知て再三異見し玉へば、却て陳じ申されし故に、公是非なく其次第お忠籌朝臣へ断はり交お絶給ふ、去共其時までも交は是かぎりなれど、退て惡声など出し候事は為すまじ、此後も心お用ひ賢諸侯となり、国家の藩屏となり玉はゞ、よそながら嬉しかるべしと雲遣り玉ひぬ、