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救急或問
一我国の人は勇剛精悍の気、他国に勝れたれども、古より直言極諫之士は少し、是大義の明力成ざるの故なり、甚きに至りては、君お諫るは失礼なりなどヽ思へる者あり、悲む可の至り也、然るに筒井順慶和州郡山お領せし時、異見役と雲る官お創めて、君の過失お始めとし、政事の是非得失等に至る迄、口お極て議論することお許せり、即ち漢の諫議大夫唐以下御史の職にして、其用更に広し、此官お置てより、郡山は善く治れり、順慶は差たる人には非ざれども、此一事に於ては、千古の卓見也と雲べし、順慶の時にすら猶ほ能く此官お置り、増て今日右文の世に当て、此官お置ざるは油断と雲べし、此官は事情に通達し、時務に練熟したれども、重職と為るには、門地賤く履歷浅く、下僚に滞らせんは、惜む可しと雲ふ程の地位なる人お用いて、其望みお重くするお猶も善とす、