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源平盛衰記
十七
大場早馬事
治承四年九月二日、相模国住人大場三郎景親、東国より早馬おたつ、福原新都に著て、上下ひしめきけり、何事ぞと聞ば、伊豆国の流人、前右兵衛権佐源頼朝、一院〈○後白河〉の院宣、高倉宮の令旨有りと称して、同国の目代平家の侍和泉判官平兼隆が、八牧の館に押寄て、兼隆並家人等夜討にして、館に火お懸て焼払ふ、〈○中略〉又国々の兵共、内々は源氏に心お通ずと承る、御用心あるべしとぞ申たる、平家の一門此事お聞、こはいかにと騒あへり、〈○中略〉太政入道〈○平清盛〉安からず被思て合旦けるは、東国の奴原と雲は、六条判官入道為義が一門、頼朝に不相離侍共と雲も、皆彼が随へ仕し家人也き、昔の好争か可忘、其に頼朝お東国へ流し遣しけるは、はや八箇国の家人に、頼朝お守護して、入道が一門お亡せと雲ふにありけり、喩ば盗に鑰お預、千里の野に虎お放ちたるが如し、いかヾすべき、入道大に失錯してけりとて、座にもたまらず躍上踊上し給けれ共、後悔今は協はず、〈○下略〉