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矢部駿州堺奉行事書
矢部駿河守定謙のぬし、堺〈泉州〉の奉行になされしは、いぬる天保三とせばかりのこと成けり、其所に広岡為次といへる医師あり、かれはもと〳〵家とみ栄へて、身のざへ、ぬひども有者にぞなん、今の為次は養ひ子にて、其父実の子一人もたりけるお、深く世にもかくして知らせず、いはけなきほどに、堺の商びとの子になしたりしが、はふれたゞよひて、よるせなき身となれり、そこが為にも弟ならずや、いかにもはからひうしろみてよと、打かたらふに、医師つれなければ、こなたはなおたちもやらで、いひあらがひて事ゆかず、遂に奉行の政所にこそうたへ出、二人ともに、六十に近き齢なれば、別に明らむべきやうもあらず、されど旧き者、むかしのささやきごとにも、かの子の有さま、さながら昔の父の面影して、ことわざに爪お二つにしたらんとは、これがことにやなど、いひあへるお、奉行もさせる証なければ、せんすべなし、この訴は為次がことはりにこそといはれて、いとしたり顔にぬかづきて、たゝむとするお、駿河守ことばおあらため、やよいかに為次は、やまともろこしのふみにもわたり、かつ詩歌のうへも、うとからずとか聞おけり、されば物の心おも能く得たらん、今一ことものいはん、むかしの歌に、
なき名ぞと人にはいひて有ぬべし心のとはゞいかゞこたへむ、これ今しも恋のうたながら、そのことはりは、ようつのうへにかよひなん、奉行がとひにこたへて、ことはりゆゝしげにいひぬれど、おのが心の、おのれにとはゞ、そも〳〵何とかいふべき、こたへこそきかまほしけれと、いひかけられて、いかゞおもひけん、時うつる迄ものいはず、さしうつむきてあるに、うへにもともにいかにするにかと見居たれば、今までいひあらかひし老人が、あと一声はなちて泣ふしぬ、ありあふものども、かれは心やたがひぬらんと見るほどに、たび〳〵涙おのごひて、
いふもうしいはぬもつらしむさしあぶみかゝるおりとこそ思ひしりてさふらへば、あはれ今日のことは、のどめ給はれかしと雲出たり、さらばとて、いふがまゝに、けふはかへしてけり、又の日かのものゝ申やう、こたびのことは、共に中和らぎて、かれがすむべき家門つくり、又世わたるたづきともなれかしとて、二もゝひらおなん、得させ侍らめ、と申せしかば、奉行おはじめ、下司も、それこそいとあらまほしき事なりけれとて、こと平らぎぬ、