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参考源平盛衰記
十三
高倉宮信連戦附高倉宮籠三井寺事
長門本雲、〈○中略〉則信連お搦て、六波羅へいて参、宗盛卿大に嗔て、〈○中略〉疾々河原に引出して言お切れとぞ宣ける、侍共口々に申けるは、弓矢取者の手本御覧候へ、角こそ有べけれ、信連は度々高名したりし者ぞかし、一年本所に候ける時、末座の衆、事お出した狼藉に及ぶ間、共にもて聞ゆる剛者にてあり、諸衆等力及ばずして、一臘二臘座お立て騒合けるに、信連寄て是お静むるに協はざりければ、信連つと寄まヽに、二人お取て押へて、左右の脇に挟で座お罷出、狼籍お静めて高名其一也と聞えし者ぞかしと申せば、又或侍申けるは、其次の年と覚ゆる、大番衆共が留兼て通ける大和強盗六人お、信連唯一人して寄合て、四人おば直に打留め、二人おば生捕にしたりし勘賞ぞかし、兵衛尉は毎度はが子お顕したりし者ぞかし、かヽる名誉の者お頓て切れん事こそ不便なれ、是体の者おこそいくらも召仕はれ候はめ、思直して御内に候はヾ、一人当千の者にてこそ候はんずれ、あたら者哉と、面々に咡きつヽ、やき壁見参に惜みあへり、さらばな切そとて捨られにけり、