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源平盛衰記
四十三
源平侍遠矢附成良返忠事
前権中納言知盛卿乗給へる舟、三町余お隔て奥に浮ぶ、三浦義盛十三束二伏の白箆に、山鳥の尾お以矯たりけるお、羽本一寸ばかり置て、三浦小太郎義盛と焼絵したりけるお、能引て兵と放知盛卿の舷に立て動けり、中納言此矢お抜せて、舌振して立給へり、三浦は遠矢射澄したりと思て、鎧蹈張弓杖つき、立上て扇おひらひて、平家お招、其矢射返せとの心也、中納言是お見給て、平家の侍の中に、此矢可射返者はなきかと被尋けるが、阿波国住人新居紀四郎宗長、手は少し亭(てがら)なれ共、偵矢は西国第一とて被召たり、宗長三浦が衛おさらり〳〵と爪遣て、此箭箆姓弱、矢つか短し、私の矢にて仕侍べしとて、黒塗の箭の十四束なるお、隻今漆おちと削のけ、新居紀四郎宗長と書附て、舳屋形の前、ほばしらの下に立て、暫固て兵と放つ、三浦義盛が弓杖に懸て居たりける甲の鉢射削、後四段許に磬へたる、三浦石左近と雲者が、弓手の小かひな射通す、源氏の軍兵等、噫呼義盛無益して遠矢射て、源氏の名折そ〳〵と雲ければ、判官宗長が矢お取て、是返すべき者やあると、被尋ければ、土肥次郎実平が申けるは、東八箇国には此矢に射勝べき者不覚、甲斐源太殿の末乎に、浅利与一殿ぞ、遠矢は名誉し給たると挙す、さらば奉呼とて招寄、判官宣ひけるは、三浦義盛遠矢射損して、答の矢被射たり、時の恥に侍、其返給へなんやといはれければ、与一は宗長が矢お取て、さらりさらり〳〵と爪遣て、此は箆誘も尋常に、普通には越侍、但遠忠が為には不相応、私の具足にて仕べしとて、判官の前お立、其日の装束には、魚綾の直垂に折烏帽子お引立て、黄河原毛の馬に白覆輪の鞍置てぞ乗たりける、白木の弓の握太なるお召寄て、白箆十四東二伏に誘たる、切符に鵠の霜降合て矯たる征矢一手取添て、遠矢の舟はいづれぞと問、舳屋形の前に扇披つかひて、鎧武者の立たる船と教ふ、遠忠能引固て兵と放つ、宗長が遠箭射澄したりと存て、ほばしらにより懸り、小扇ひらき仕ける鎧の胸板かけ、すつと射とおし、其矢はぬけて海上五段許にさと入、宗長ほばしらの本に倒る、其後源平の遠矢はなかりけり、