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増鏡
一/おどろの下
又清撰の御うたあはせとて、かぎりなくみがゝせ給ひしも、みなせどのにての事なりしにや、たうざに衆儀はんなれば、人々の心ちいとゞおき所なかりけんかし、建保二年九月のころ、すぐれたるかぎりぬきいで給ふめりしかば、いづれかおろかならん、中にもいみじかりし事は、第七番に左、院の御うた、
あかしがた浦路はれ行あさなぎに霧にこぎ入あまのつり舟
とありしに、きたおもての中に藤原のひでよしとて、としごろもこのみちにゆり、すきものなれば、めしくはへらるゝ事、常のことなれど、やむごとなき人々の歌だにも、あるは一首、二首、三首にはすぎざりしに、この秀能九首までめさせて、しかも院の御かたてにまいれり、さてありつるあまのつり舟の御歌の右に、
契おきし山の木の葉の下もみぢそめしころもに秋風ぞふくとよめりしは、その身のうへにとりて、ながき世のめいぼく何にかはあらむ、