[p.0299][p.0300]
塵塚物語

常徳院殿依御秀歌炎天曇事前飛鳥井老翁一日語られていはく、常徳院内大臣美尚公は、天性おゆふにうけさせ給ひて、武芸の御いとまには、和歌に心おふけりまし〳〵て、御才覚もおとなしくまし〳〵ける、〈○中略〉去比又逆敵近隣おかすめけるに、いそぎ御進発ありけり、時しも炎天のみぎりにて五万ばかりの軍兵おめしつれ給ひけるが、士卒此あつさにたへかねて、練汁のごとくなる汗おかき、馬もこらへかねて、多くはひざまづきければ、人皆仰天して、しどうになりにけり、そのところ鏡山のふもとにてありければ、大樹の御うたに、
けふばかりくもれあふみのかゞみ山たびのやつれの影のみゆるに
とあそばされ、しばらく木蔭にやすらひ給ふにずこし程ありて、天くもり凉風おもむろに吹来れば、諸ぐんぜいも、中秋夕暮のおもひおなして、たちまちよみがへるがごとしと雲々、上古末代まで高名の御ほまれなり、まことに一句のちからにて、数万の軍兵くるしみおやめらるゝ事、天感不測の君なりといへり、