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備前老人物語
ある人の語りしは、鞠は九損一徳とて、いらざる事とはいひつたへたれども、わかき時すこしは心懸たる事よろしかるべし、いにしへ秀吉公より、近江国六角殿へ御祝義の時、仰られけるは、六角殿は古風の家なれば、規式正しかるべしとて、礼義おわきまへて、武士道の誉ありて、器量よき人お三人撰出されて、御供にさぶらはしめらる、その一人は古田肥後守殿、二人はたしかに覚えず、祝言の儀式作法、首尾相応して、その次第残る所なし、其後六角殿家老衆御供の人々お日々にふるまひ、さま〴〵むつかしき事ども仕かけゝれども、更に越度もなし、ある日御饗応過てのち、しづかなる夕暮に、鞠の興行あるべしとて、上手お撰び合手おなして、御慰にあそばされといふ、度々辞退におよびしかば、さればよ、鞠は不得手成とおもひて、いよ〳〵所望する事止ざりけり、この時肥後守、かほどに御望あるに仕ざるははゞかりなれば、某たち出、その仕形ばかりおも御目にかけ申べしといひて、ざお立ちて、もたせたる狭箱の中より、鞠の装束お取出し、衣紋つくろい、しづかにあゆみ出72り、もとより鞠は上手也ければ、人々目お驚しけり、此事聞召れて、諸事に心懸名誉也と、秀吉感じ給ふ事なゝめならず、褒美下されしと也、