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太平記
三十九
大内介降参の事
援に大内介は多年宮方にて、周防長門両国お打ち平げて、無恐方居たりけるが、如何か思ひけん、貞治三年の春の比より、俄に心変じて、此間押へて領知する処の両国お賜はらば、御方に可参由お、将軍羽林の方へ申したりければ、両国静謐の基たるべしとて、軈て所望の国お被恩補、依之今迄弐心無りける厚東駿河守、長門国の守護職お被召放、合恨ければ、則長門国お落ちて、筑紫へ押し渡り、菊池と一に成て、却て大内介お攻めんとす、大内介遮て、三千余騎お率して、豊後国に押寄せ、菊池と戦ひけるが、第二度の軍に負て、菊池が勢に囲れければ、降お乞て命お助り、己が国へ帰て後、京都へぞ上りける、在京の間、数万貫の銭貨、新渡の唐物等美お尽して、奉行、頭人、評定衆、傾城、田楽、猿楽、遁世者まで、是お引与へける間、此人に増る御用人有まじと、末見えたる事もなき先に、誉めぬ人こそ無りけれ、世上の毀誉非善惡、人間の用捨は在貧富とは、今の時おや申すべき、