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藩翰譜
四上/本多
北条亡びて、関白殿〈○豊臣秀吉〉東山道に下り玉ひしが、忠勝お下野国宇都宮の御陣に召されて、冑一つ取出して、奥の佐藤忠信が著たりしとて、此程陸奥国より参らせたる胃なり、当時忠勝ならで、此胃著んずるもの覚えねば、賜らんとて召しけるぞと、賜ひけり、時の人羨しき事に思ひしに、忠勝が嫡子平八郎忠政、〈後に美濃守〉今年十六歳に成けるが、父に向ひ、父御は、まさしく徳川殿の侍大将にてこそ侍れ、義経の侍の胃、何条の事あらん、とく返させ玉ふべしとそ怒りける、