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折たく柴の記

父の仰せしは、我父はいかなる故によりてか、所領の地失なひて、其領せし地に引こもりておはせしといひしが、眼大きに、鬚多くして、おそろしげなるが、死し給ふ比は、まだ白髪にはおはせざりしと覚えたりき、つねに物めしけるに、箸筒の黒くぬりしに、かきつばたの蒔絵おしたりしより、箸とりいでゝ、物めして、めし終りぬれば、箸おおさめて、かたはらにさしおき給ひしお、我おはぐゝみそだてし老婢のありしにとふに、すぎにし比の戦ひに、よき首とりて、大将の陣に参り給ひしに、戦つかれたるらむ、これ給れとて、めしける膳おおし出して、その箸共に賜る、此事時の名誉なりしかば、今も身おはなし給はぬなりといひき、それもいとけなき時に聞にし事にて、いづれの時、いかなる所の戦にて、大将は誰とかいひぬらん、さだかならず、