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明徳記

十二月廿九日、八幡にて寄合て、軍の内談有ける中に、中務大輔若党六人別して契約の事あり、山口五郎、森下六郎、旗津、志賀野、小鴨新三郎、家喜九郎、是六人成べし、中にも家喜が申しけるは、此年月久く在京して、天下に自然の事もあらば、御所様の御旗の下にてこそ、御大事にも逢せ給べきに、中務加様に成り給に依て、我等まで昨日今日まで栖押し都へ責上る事、不定の浮世と雲ながら、有お有とも思ふまじきは、弓矢取身にて侍る也、去ば勝ても負ても、夢の世につれなく残り留て、いつしか逆徒の名お取て人に見えんも面目無し、今度の軍に討死して、勇士の数に入ずとも、浮名おなり其世の人に知ればやと思はいかにと申ければ、残四五人も諸共に誰もさこそは覚えたる、一河の流れお汲むだにも多生広劫の縁と申ぞかし、況や同傍輩と雲ながら、互に他事なく馴なじみて、あだし命もかりの世の草葉に置る末の露、本のしづくと成行は、跡に残りて誰かそも、独り思お菅筵、敷忍べき名残かや、此六人の其中に、一人なりとも打死せば、残五人皆共に枕お並て、後の世までも傍輩の約お忘れじと、深く契て八幡宮の鰐口お鳴して、神水お飲み誓約おこそしたりけれ、去ば二条大宮の二度目の合戦に、五人は所々にて思々に討死す、九郎一人死に残り、誓約五人見えざりければ、走廻て尋よと、つれたる下人に雲ければ、家喜が中間申けるは、隻今山口殿の御下部の申候つるは、昨日八幡にての御契約の人々、この五人一所にて討れ給つれとて、泣々嵯峨の方へ走り候つると申ければ、恥かしの人々の心中哉、さばかり深く契りたるに、敵御方に押隔てられ、討るヽお知らざりける、我身の程こそ不覚さよと、独言おしてしづしづと、猪熊お上りに歩せ行、心の中こそむざんなれ、