[p.0328]
甲陽軍鑑
九上/品第二十三
信州平沢大門到下等合戦之事
然れば晴信公御母方の伯父、穴山殿三病お御煩にて筋骨おいたみ給ふ故、〈○中略〉晴信公仰らるゝは、留主居なくして不協事なれば、そなたは心易き人といひ、病中と申、さて我等討死におひては、当年五歳になる太郎おもりたて給ふべしと仰らるれば、穴山伊豆守申され候は、猶それはさる事なれども、留主居には甘利備前、飯富兵部手負申て候へ共、さのみ深手にてもなく候へば、此両人しかも人数たくさんに罷有、其上郡内の小山田方へも我等隻今飛脚おさしこし候、跡に思召おかるゝ事は少もこれ有間敷候、就中某煩なれば、行がけの駄賃とやらん下劣の申は是なり、若屋形様の身に替申べしとて、金打(きんぢやう/○○)おはり(/○○○)、誓文おなされ(/○○○○○○)、無二に先懸おあそばす、〈○下略〉