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古事記伝
三十九
玖珂瓮(くかへ)、玖珂(くか)は、書紀に、盟神探湯此雲区詞陀智(くかだちと)とある如く、熱湯中に手お漬探りて、神に盟ふ事(わざ)おするお雲、〈陀智(だち)は、役(だち)などの陀智(だち)にて、凡て其事に趣くお、某(なに)に立(だつ)とも、某立(なにだち)とも雲こと、昔も今も多し、さて探湯(くかだち)は、詞(か)お清(すみ)、陀(だ)お濁る言なるお、詞(か)お濁り、陀お清〻て読むば非なり、(中略)湯お採て誓ふ事、から書にも見えたり、〉垂仁巻に、中臣連祖探湯主(くかぬし)と雲人名も見ゆ、〈日本紀竟宴集に、此天皇お甘樫乃丘乃久可太知支与介礼波爾己礼留多見毛可波禰数末之幾(あまかしのおかのくかだちきよければにごれるたみもかば子すましき)、また、万賀布宇智遠久可倍温須恵伝和玖能美箇王多濃当摩讃部安羅波礼仁計驪(まがふうぢおくかへおすえてわくのみかわたのたまさへあらはれにけり)、かの武内宿禰お川久之弊天久可多智世之爾支与支見波武与乃容(つくしへてくかだちせしにきよきみはむよのす)め良爾都(らにつ)か弊支爾計利(へきにけり)、〉瓮(へ)は其探湯立(くかだち)の湯お沸す釜(かなへ)なり、〈閉(へ)と雲は、此類の器の惣名にて、加那閉(かなへ)は金瓮(かなへ)なり、鍋は、魚菜(な)お煮る瓮(へ)なり、其外某瓮(なにへ)と雲名多し、〉さてかく其瓮(へ)お居(すえ)たることばかりお雲て、探湯(くかだち)せし事おば略きて雲はざるは、古又の(いにしへぶみ)さまなり、〈大祓詞に、天津金木お打切と雲て、其お置座(おきくら)に造ることおば雲ずて、直に置座に置定はしと雲るなどゝ同じ格なり、〉