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愚耳旧聴記

大光寺責起之事〈附〉小笠原浅瀬石縁組之事
然る所に、浅瀬石大和方より、小笠原伊勢方え申遣しけるは、其許の息女、忰安芸方え申請度候也、於御同心者、可忝候と、いとこまやかに申遣ける、然共伊勢心に思ひけるは、大和心中無覚束、家おつがせんの妻に、敵方の娘おのぞむ事、若人質にせんとの計にや可有、其上一身の覚悟にて是非お難極と了簡し、大和方より某が娘おもらい申度旨申遣候、一円難心得、いかヾ可仕候やと申上ければ、為信様聞し召、よし夫は計策に申越候共、我々も思ふ子細有間、娘お遣し可被申、若計事に申越候と了簡の場援可成、又大和心実味方え心お通し付ば、是に上こす事あらじ、兎角の吉事也、疾と返事被致よとて仰ける、伊勢畏候とて、頓て返事おなしたりける、大和なのめに悦び、近日祝言相調べしとて、双方祝義お取かはし、日限迄相究る也、折々為信公被仰出は、我に敵たえする浅瀬石方え娘お可遣いはれなし、一定伊勢はげき心の奥意有とて、伊勢お押籠玉ひける、大和此由伝ひ聞、於某全御敵に可罷成覚悟ゆめ〳〵無御坐候、御敵不仕心底お可掛御目為成とて、大光寺方にて随一の者に、藤五郎左衛門と申者おたばかり寄せ、あえなく首お打落し、其首に一紙の起請文お添て、大浦えこそは遣りける、〈○下略〉