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泊泊筆話
一県居翁東都へ来られて、門人数あまたありけるか、入門のおり、烏計非言といふものおかゝせしめられき、そは今も世にすなる、入門の誓詞なり、其文は
加茂宇志乃教賜(かもうしのおしへたま)〈倍屢(へる)〉
皇御国能上代乃道(すめらみくにのかみつよのみち)〈遠(お)〉、己痛願斯奴倍里(おのれいたく子ぎしぬべり)、故名簿(かれなつき)〈乎(お)〉進(まい)〈良世底(ませて)〉、其道(そのみち)〈爾(に)〉赴(おもむか)〈比奴(ひぬ)〉、伊摩由後教賜(いまゆのおしへたま)〈弊留(へる)〉言(こと)、遂(つひ)〈爾(に)〉 遠(とほ)〈里(り)、底(て)〉許(ゆるぶ)〈流(る)〉時(とき)〈爾之毛(にしも)〉有受(あらず)〈波(ば)〉、安駄志人(あだしひと)〈爾(に)〉私言勢自(さヽめごとせじ)、且宇志(またうし)〈爾(に)〉対(むか)〈比底(ひて)〉為耶無(いやな)〈久(く)〉異(あだ)〈之伎(しき)〉心(こヽろ)〈遠(お)〉思波自(おもはじ)、都(すべ)〈底(て)〉 此烏計非(このうけひ)〈爾(に)〉違(たか)〈波婆(はヾ)〉言(いは)〈麻久毛(まくも)〉恐(かしこ)〈伎(き)〉、天津神国津神多知知志食(あまつかみくにつかみたちしろしめさ)〈奈毛(なも)、〉穴畏(あなかしこ)、
通称
年号月日 姓名 花押
加茂県主大人〈爾〉上
此文お入門のおり、人々に自筆にて、かゝせられしが、岡部の雰にちり残りつたはれるお、先年翁の孫、〈通称平三郎〉今の家あるじにこひて、おのが家に襲蔵す、元文三年〈翁年四十二歳〉より、明和四年〈翁年七十二歳にて〉〈歿年前二年なり〉まで二十七人のお得たり、此外にもいとおほかりけんお、散り失せてわづかに残れるかぎりなり、此なかに小野古道、〈通称長谷川讃益、家集一巻、予校正して已に刊せり、〉日下部高豊、〈通称今蔵、貞右衛門、家集一巻、予校正して近刊す、〉橘千蔭、〈九歳のおりにて、通称要人といはれし人なり、〉藤原字万伎、〈通称河津五郎太夫、家集静舎集、先年難波人上田秋成校正して上米せり、〉大伴俊明、〈柳営侍臣、俗称山岡左次右衛門、後剃髪号明阿、博覧強記、著書数十部、〉源綾足、〈建凉袋、著書数部、今上木して世に伝ふ、〉平宣長、〈通称本居俊菴〉度会正恭、〈後改久老、通称学治五十槻、〉などの高名の輩入りたり、