[p.0377][p.0378]
源平盛衰記
二十三
新院厳島御幸附入道奉勧起請事
治承四年九月廿一日、新院〈○高倉〉又厳島の御幸あり、〈○中略〉頼朝追討の宣下の後、入道又夜に入て参たりけるに、新院の仰には、東国の兵乱の事、頼朝は一人也、討手の使は三人也、別の事あらじ、心安こそ思召、早く其祈可被申、先厳島へ被参よかし、さらば是も思たヽんと仰下さる、入道余の嬉さに手お合悦泣して、関東へは若者共お差下て候へば、実に何事かは侍べき、鳥風ならばこそ此等お差越ては頼朝に勢付べき、皆々御留なん、憑しく候、勅定のごとく厳島へ御伴仕て、天下安穏の事お祈申べしとて、俄に出し立進て御幸あり、彼島に著せ給て、御参社以前に、入道と宗盛と父子二人、院の御前に参よりて、自余の人々おば被除て、入、道被申けるは、東国の乱逆に依て頼朝お可追討之由、御宣下の上は、不審候はねども、源氏に一つ御心あらじと御起請(○○○○○○○○○○○○○○)あそばして、入道に給御座候へ、心安存じ、いよ〳〵御宮仕申候べし、此言聞召入られずは、君おば此島に捨置径せて帰上候なんと申たれば、新院少しもさはがせ給はず、良御計有て、今めかし年来何事おか入道のそれ申事背きたる、今明始て二心ある身と思ふらんこそ本意なければ、彼起請いとやすし、いかにもいはんに随ふべしと仰有ければ、前右大将硯紙執進せり、入道近参て耳語申ければ、其儘にあそばしてたびぬ、入道披之拝て、今こそ憑しく候へとて、ほくそ笑て大将に見せらる、宗盛此上は左右の事有べからずと申、相国取て懐に入て立給けるが、よにも心地よげにて各御前へ参らせ給へと申ける時、邦綱卿被参たり、あやしと思はれけれ共、人々口お閉て申事もなかりけるに、重衡朝臣いかにぞやと阿翁にさヽやきければ、打うなづきて心得たる体也けれ共、御伴の人々は其心お得ず、国庄お給り給へる歟、いかばかりの悦し給へるぞ、いと〓く思はれたり、