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源平盛衰記
四十六
土佐房上洛事
同日に伊予守〈○源義経〉土佐房お召す、随召畠俊参、いかに何事に上洛ぞ、など又音信は無ぞと間〈○中略〉土佐房陳申て雲、全其義侍らず、為散不審、起請文お書進せそと雲、伊予守は起請お書たればとて不可実、其上事和僧が心任よといへば、昌俊其辺より、熊野牛王尋出して、其裏に上天下界神祇、奉勧請起請文書、灰に焼て呑、宿所に帰て思ひけるは、起請は書たれ共、今夜不計は、惡かりなんと思て、夜討支度しけり、〈○中略〉伊予守時声お聞、さればこそ起請法師が所為也、但其僧は猶(おそろし)からず、何事か有べきとて、ちともに不騒、〈○中略〉昌俊大原より薬王坂お越、鞍馬山に逃籠、伊予守児童の時、当寺居住の好ありて、大衆法師原、山蹈して尋ける程に、鞍馬奥、僧正が谷と雲所にて搦捕、伊予守に奉大庭に引居て、いかに和僧は、腹黒なしと、起請書ながら、加様の結構おば巧けるぞ、冥覧在頂、神罰不廻踵、奇怪々々と雲ければ、土佐房今は助るべき身に非と思て、及悪口、夜討は二位家の結構、起請は昌俊が私の所作也、必しも非冥罰、隻自然の運の尽にこそ、互に其期あるべきと雲、伊予守腹お立て、しや頬打とて、つらお打せたりければ、昌俊不振面、不損顔、隻飽まで打給へ〳〵昌俊が顔、我つらにあらず、是は源二位家の御頬也、此代には又鎌倉殿、伊予守殿の顔お打給はんずれば、思合給はんずらんと申す、