[p.0382][p.0383]
源平盛衰記
二十八
頼朝義仲中惡事
又清水冠者事は、未東西不覚の者候、仰お蒙て進せねば所存お寵たるに似たり、召に随て是お進す、不便にこそ思召れめ、義仲角て候へば、一方の固めには、憑思召べしとて、清水殿おば岡崎四郎藤内民部に渡しけり、両使畏て鎌倉へ相具し奉る、宇野太郎行氏とて、美妙水冠者と同年に成けるおぞ、伴には具して遣しける、木曾は宗徒の郎等三十余人が妻お召て、美妙水冠者おば、女等が夫の身替に鎌倉へ遣しぬ、若冠者惜むならば、兵衛佐東国の家人催集て可推寄、両陣矢さきお合せば、共に可討死、世中お鎮めんとの計ひにて、冠者おば兵衛佐に渡ぬと宣へば、女房共皆涙お流しづヽ、穴目出の御計や、加程に思召主君の御恩お忘れ奉て、妻子悲しとて、何くの浦よりも落来、夫共には面お合せじ、ちヽの社の前渡せし照日月の下に、住まじと、各起請お書て、木曾殿にぞ進する、