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常山紀談
十二
東照宮景勝征伐の御時、小山にて石田兵お西国に起せる告お聞し召、前には景勝が勇将なるあり、西国は皆敵なりと人々驚きたりしに、花房助兵衛職之お召て、女は近年佐竹が許に有て、義宣が心はよく知たらん、かゝる乱に二心有て、軍お出し、わが帰る道おや塞ぐべき、又義宣謀叛の志あるまじとならば、起請文お書て我に見せよと仰せられしに、花房承り、義宣はきはめて信のあつき人に候へば、別の子細候まじ、隻人心の反覆は父子の間も計りがたき事に候、起請文は御ゆるされお蒙るべしと申す、東照宮助兵衛は浮田が家の長臣と聞たりしに、器量の小き男よとて、大息つかせ給ふ、花房かくと後に伝へ聞、われ起請文お書ならば、佐竹二心あらじと、軍兵の疑お散ぜん為の仰なりしに、察せずして起請文お書ざりけるこそ口惜けれ、たとひ義宣軍お出したりとも、我何の罪の有べきと深く悔みけるとぞ、