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近世奇人伝

柳沢淇園
淇園柳沢氏、諱里恭、字公美、一号玉桂、通名権大夫、大和郡山同姓の士也、〈○中略〉為人壙達不拘、客お好みて、才不才おいはず、寄食せしむるもの幾人といふ数おしらず、あるひはかりそめに来たるものおも、年お経て還さず、家禄多けれども、これがために乏しきに至る、初某の年、侯使として、発極の御賀のため、都にのぼりしついで、大雅にまみへて相歓し、これより往来たへず、ある時大雅大和に行しに、路費尽たれば、仮初に立よりて是お借るに、例の如くとゞめ門お閉て還さず、家臣又いふこと有、幸にとゞまりて内お好まるゝの病お諫給はれ、多欲のために身お亡し給んお憂といふ、こゝに大雅謀て其よしお説て曰、もし諫に従ひ給はゞ止らん、聞給ずば速に還んと、あるじ首おふりて、諫にも従はじ、還しもせじと、ます〳〵門お堅くして守らしむ、大雅終に裏の垣おこへて帰りしと也、