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名家略伝

増田鶴楼
鶴楼常に賓客お喜べり、酒肉席に絶ることなく、昼夜来るもの相属けり、その先に至るもの、あるひは他に行かんことおおもへども、去ることお得せしめず、後なる者と雑然たり、日夕毎に客常に満ち、主人その中に起座し、衎然として歓び、夜に至れども巻ことなし、たま〳〵熟酔すれば、その席に在りて仮寐す、少ありて寤れば、復人お呼て酒お命ず、迎へず送らず、必しも賓主の容お為ず、おもふに蓋し相忘るゝおもて適意とす、客も亦その真率お悦べり、至るものわが家に帰るが如くおもへり、鶴楼が主人もとより習ひて常とせり、深更といへども厨膳かならず弁ず、あるひは時として客の来らざることあれば、僮僕ら主翁の楽ざるお憂ひて、平生交遊する友の家に至り、使と称して招き来れり、その人来らざる時は、又他に適て、略相識る者といへども招き来る、かくて雑賓惡客といへども、必これお激ふ、僮者大むね道すがら主翁の相識に遇ことのあれば、苦(しきり)に誘ひて鶴楼に至らしめ、主翁おして喜しむ、晩年これが為に稍貧しけれども、鶴楼他の好みなく、戸室破損すれどこれお修することなく、身にはたゞ一卉服あるのみ、出行せんことおおもへば即出、縕袍たりともいさゝかも恥る色なし、されども諸客に饗する飲食の費に至りては、家人日々に得るところの価おもて、こと〴〵くこれお供して足らしむ、しかも他お問はず、かくて十年あまり一日の如くにて衰ずといへり、〈○下略〉