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雲室随筆
根本雄助といへる人は、常陸の産といへり、久敷林家の書生にて有しが、篤学の人にて歷史に委し、且国朝の学に委しく、律令格式より国史まで、悉く推極られたり、然ども其生質名利お厭ふ人にて、諸侯より召せども不応、松平左京亮殿より被聞及、度々召けれども、断りて不応、林百助殿地面に住けり、予〈○僧雲室〉久敷交れり、八代巣河岸に入塾せし中より、常に戸お閉て人に逢ず、五六月盛夏の時といへども、戸閉て居けり、予が弊院も数々被訪、常に往来せり、